植物一日一題 牧野富太郎

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 中国の椿の字、日本の椿の字
 
 世間ではよく中国の椿の字と、日本での椿の字とを混同していて明瞭を欠いている場合が少なくない。つまりその椿の字を二つに使い別けすべき根本知識が欠けているから、そんなアヤフヤしたことになるのである。
 ツバキによく椿の字が書いてあるのは誰でも知っているが、この場合はけっして中国の椿ではない。ゆえにこの中国の椿と日本のツバキの椿とが同字であると思ったら、それは大きな見当違いである。これはたとえその字体は全く同じでも、もとより同字ではないからである。
 中国の椿の場合はその字音は普通チン(丑倫切)で、その植物はかのいわゆるチャンチンを指している。が、椿の字が一朝ツバキとなると、けっしてチンではないのである。そしてこのツバキの場合は和字、すなわち和製(日本製)の文字でそれをツバキと訓ませたものである。それはツバキは春盛んに花が咲くので、それで木扁に春を書いた椿の字を古人がつくったもんだ。寺島良安てらじまりょうあんの『倭漢三才図会わかんさんさいずえ』にも椿を倭字(日本字)だと書いてある。ゆえにこの椿はツバキと訓むよりほかにいいようはない。そしてこれはもとより字音はないはずだが、強いてこれを字音で訓みたければそれをシュンというよりほか訓みようはない。たとえその字面は中国の椿そっくりであっても、それはけっしてチンではない。ゆえにツバキのことを書いてある書物の『百椿図』とか『椿花集』とかは、これをヒャクシュンズまたはシュンカシュウいうのが本当で、今までのようにそれをヒャクチンズとかチンカシュウとか呼ぶのは全く間違いである訳だ。古来どんな人でも一向にこの点に気がつかず、その間違いを説破した者が一人もないとはどうしたもんだ、オカシナ話である。
 ハギとしてある萩の字も和製字で、これは秋に盛んに花がひらくので、それで艸冠りに秋の字を書いた訳で、中国にある本来の萩の字ではない。この中国の萩は蒿(ヨモギの類)であると字典にあってハギとは何の関係もない。すなわちこれは神前に供えるからサカキに対しての榊をつくったのと同筆法である。