植物一日一題 牧野富太郎

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 ノイバラの実、営実
 
 ノイバラ(Rosa multiflora Thunb.)の実は小形で小枝端に簇集して着いていて、秋に赤熟する。採ってこれを薬用とするがその名を営実エイジツといわれている。梁の陶弘景とうこうけいという学者は「営実薔薇子也」といっている。
 明の時代の学者である李時珍りじちんは、その著『本草綱目ほんぞうこうもく』巻之十八、蔓草類なる※(「くさかんむり/靡」の「非」に代えて「緋-糸」、第4水準2-87-21)ショウビ(薔薇)すなわちノイバラの「釈名」の項で時珍のいうには、「其子成シテ而生営星営実」とある。そうするとこのノイバラの実が簇成していてそれが営星のようだから、それでその実を営実というのだとの意味である。なおこの実については時珍はその集解しっかい中で「結」と書いている。
 私はこの営星という星が解らなかったので、先きにこれを斬界の権威野尻抱影のじりほうえい先生にお尋ねしたことがあって、同先生から丁寧な御返書を頂戴したが、今ここにはそれを省略する。
 頃日友人の理学士(東大理学部、植物学出身)恩田経介君から次の書信を落手し、この営星について同君の披瀝せる見解を知ることが出来たので、ここに君の書信(昭和二十一年八月二十一日発信)の全文を披露し紹介する。
 

先頃参上いたしました節、ノイバラの実を営実というが、営実とは星の名から由来したものだが、営星とは、何星にあたるか、分らないとのお話を承りました、それを想い出して只今本草綱目を見ましたら
………如営星故謂之営実
とあり、営星の如くとあるから営星は紅色の星だろうと想像し、紅い星は火星だろうと見当をつけ、火星は支那では何というかと調べて見ましたところ、※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑(ケイコク、よくケイクと誤読するものと言海にも国語大字典にもあります)[牧野いう、惑は元来漢音がコク、呉音がヲクで同音の或という字と同じくもとよりワクという字音はないのだが、我国昔からの習慣音としてこれをワクといっている。ゆえに迷惑、惑溺、惑乱、惑星は実はメイコク、コクデキ、コクラン、コクセイが本当だけれど、今これをメイワク、ワクデキ、ワクラン、ワクセイといわないと世間に通じない。また或問もワクモンとしないとコクモンでは同様通じない。またクキの茎には本来ケイという字音はなく、漢音はカウ、呉音はギヤウだけれど、今世間では日本在来の習慣に従って通常ケイと呼んでいる始末だ]というのだとあります。支那の学生辞典にも「※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)けいわく行星名即火星也」とあり、日本の模範英和辞典にも Mars の訳に※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑、火星とあります。それで※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)の字を康熙字典こうきじてんで見ますと※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)のところに、※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑、星名………察剛気以処、※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑亦作営とあり、営のところには、営与※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)通、※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑星名亦作営とありました、それで※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)星と営星とは同じもので何れも火星のことだとわかりました、猶お漢和大辞典(小柳司気多)の惑のところに熟字の例として※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)星、営惑というのがあがっています。
 以上のものだけでも私の想像した営星は紅い星だろう、紅いのは火星だろうから営星とは火星のことだろうということが中ったような気がしたします。「営即営星は※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑即火星なり」としてはいかがでしょう

 
 これはまことに啓蒙の文であるのみならず、あまつさえ同君快諾の下にこの拙著のページを飾り得たことを欣幸とする次第だ。