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センジュガンピの語原
ナデシコ科のセンノウ属に深山生宿根草本なるセンジュガンピと呼ぶものがある。草全体が緑色で柔かく、茎は痩せ長く高さおよそ一尺ないし一尺半ばかりもあって直立し、葉は披針形で対生し、梢に疎なる聚繖的分枝をなして、欠刻ある五弁の石竹咲白花を着け、花中に十雄蕋と五花柱ある一子房とを具えている。その学名を Lychnis stellarioides Maxim. と称する。その草質がハコベ属すなわち Stellaria に類しているので、それで「ハコベ属ノ植物ノ様ナ」という意味の種名がつけられたのであるがじつはガンピ属である。
私は鈍臭くてこれまでこれをセンジュガンピというそのセンジュの意味が解せられなかった。ゆえに私の『牧野日本植物図鑑』にも「和名ノせんじゅがんぴハ其意不明ナリ」と書いてある。
昭和二十一年八月十九日に来訪せられた伊藤隼君から、いろいろ話の中で右のセンジュガンピの名の由来をきいてたちまち我が蒙の扉が啓らきくれ、あたかも珠を沙中に拾ったように喜んだ、同君の語るところによれば、それが享保十三年(1728)二月出版、鷹橋義武(日光山御幸町の人で治郎左衛門と称する)の『日光山名跡誌』に日光物としての条下に千手雁皮が挙げられており[この書私も所蔵しているが私のは明和元年甲申仲秋改版のものである]天保八年(1837)に出版になった植田孟縉の『日光山志』にも出ているとのことであった。私はこれまで折りにふれてはこの『日光山志』を繙くことがあったのだが、ただ拾い読みをするばかりの罰でついにこの草に関する記事を見落してしまっていた。そこで早速に同書を閲覧してみたらその巻之四に「千手原 是は千手崎より続き赤沼原[牧野いう、今はアカヌマガワラというのだが、往時はかくアカヌガワラと呼んでいたのか]の南西によれり広さ凡一里半余も有ける由茲は徃反する処にあらねば知れるものすくなし千手がぴんと称する草花の名産を生ず」と出ている。すなわちセンジュガンピの名は日光千手崎に由来していることを偶然に伊藤君のお蔭で知ることが出来たわけで、私は偏えに同君に感謝している次第である。しかしこの和名をなんという人が初めてつけたか、それがなお私には不明である。
右の千手崎は延暦三年四月に勝道上人が湖上[中禅寺湖の]で黄金の千光眼の影向を拝し玉ひしゆゑ爰に千手大士を創建し玉ひ補陀楽山千手院と名付玉ふたといふことである。
前述拙著『牧野日本植物図鑑』せんじがんぴの文末「せんじゅハ其意味不明ナリ」を取り消し、今これを「野州日光山ノ中禅寺湖畔ナル千手崎ニ産スルヨリ云ヘリ」と訂正する。