植物一日一題 牧野富太郎

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 [#「くさかんむり/開」、U+26F20、16-11]
 
 人皇五十九代宇多うだ天皇の御宇、それは今から一一〇五年の昔寛平かんぴょう四年(892)に僧昌住しょうじゅうの作った我国開闢以来最初の辞書『新撰字鏡しんせんじきょう』に「※[#「くさかんむり/開」、U+26F20、16-13]、開音山女也阿介比又波太豆」と書いてある。昌住坊さんなかなかサバケテいる。
 大正六年に東京の啓成社で発行した上田万年うえだかずとし博士ほか四氏共編の『大字典だいじてん』には「【※[#「くさかんむり/開」、U+26F20、16-13]】カイ国字」と出で、また「万葉集訓義弁証に曰く新撰字鏡に※[#「くさかんむり/開」、U+26F20、17-3]音開、山女也、阿介比とあり、蔔子(あけび)の実の熟してあけたる形、女陰にいとよく似たり。故に従艸従開て製れる古人の会意の字也、開は女陰の名にて和名鈔に見えたり」と出ている。しかし『和名鈔わみょうしょう』すなわち『倭名類聚鈔わみょうるいじゅしょう』には女陰は玉門ツヒとしてあるが、ただし玉茎の条下の※[#「門<牛」、U+28CEF、17-6]の字の注に、「以開字為女陰」と書いている。
 私の郷里土佐の国高岡郡佐川町では女陰をオカイと称するが、これは御カイであろう。すなわちカイは上古の語の遺っているものと思う。
 とにかくアケビとはその熟した実が口を開けた姿を形容したものである。ゆえにこれが縦に割れて口を開けていることを根拠としてアケビの名が生じたと考えられる。それでアケビの語原はこの縦に開口しているのをアケビと形容して、それが語原だとしている人に白井光太郎しらいみつたろう博士もいる。また人によってはアケビはから来たものとし、またアクビから来たものともしている。これは考えようではどちらでもその意味は通ずるが、アケツビの方がおかしみがあって面白く、そして昔に早くも※[#「くさかんむり/開」、U+26F20、17-13]とも山女とも書いてあるので、まずそれに賛成しておいた方がよいのであろう。が、この語原は若い女の前ではその説明がむつかしい。しかし今日ではシャーシャー然たる勇敢な女が多いから、かえって興味をもって迎え聴くのかも知れない。
 

 旧拙吟
女客あけびの前で横を向き
なるほどゝ眺め入つたるあけび哉

 
 元来アケビは実の名で、これは上に書いたように『新撰字鏡』に出ている。またその蔓の名はアケビカヅラであって、これは古く深江輔仁ふかえのすけひとの『本草和名ほんぞうわみょう』、源順みなもとのしたごうの『倭名類聚鈔わみょうるいじゅしょう』に出ている。
 日本にはアケビが二つある。植物界では一つをアケビ、一つをミツバアケビといって分けてあるが、アケビはじつのところこの両方の総名である。
 かのアケビのバスケットはミツバアケビの株元から延び出て地面へ這った長い蔓を採ってつくられる。普通のアケビにはこの蔓が出ない。
 ミツバアケビの実の皮は鮮紫色ですこぶる美しいが、普通のアケビの実の皮はそれほど美しくはない。熟したアケビの実の皮は厚ぼったいものである。中の肉身を採った残りの皮を油でイタメ味を付けて食用にすることがあるが、なかなか風雅なものである。
 
「アケビ(Akebia quinata Decne[#「Decne」は斜体].)の果実」のキャプション付きの図
アケビ(Akebia quinata Decne.)の果実