植物一日一題 牧野富太郎

.

 楓とモミジ
 
 中国の有名な詩人である杜牧とぼくが詠じた「山行」の詩に
 

レバ寒山石径斜ナリ、白雲生ズル処有人家
メテロニ楓林晩、霜葉ナリヨリモ二月

 
 というのがあって、ふるくから普く人口に膾炙している。
 諸君御覧の通りこの詩中に楓がある。日本人はこれを Acer すなわち Maple のカエデすなわちモミジであるとして疑わず、日本の詩人はみなそう信じている。しかしあにはからんや楓はけっしてカエデすなわちモミジではなく、全然違った一種の樹木で、カエデとはなんの縁もない。しかるにここに興味あることは、この楓をカエデとする滔々たる世の風潮に逆らってそれはカエデではないと初めて喝破し否定した貝原益軒があって、宝永六年(1709)に出版になった彼の著『大和本草』に「本邦楓ノ字ヲアヤマリテカヘデトヨム」と書き、また「楓ヲカヘデト訓スルハアヤマレリカヘデハ機樹也」とも書いている。しかし楓をカエデではないと否定する益軒の卓見には賛成だが、翻ってこの楓を古名ヲガツラ、すなわち今日いうカツラ(Cercidiphyllum japonicum Sieb. et Zucc.)とするのには不賛成であって、楓はけっしてカツラではない。また益軒はカエデを機樹と書いているが、その由るところの根拠全く不明であり、とにかく機の字にはカエデの意味はない。
 楓はマンサク科に属し Liquidambar formosana Hance の学名を有する落葉喬木である。その葉は枝に互生して三裂し、実は球状で柔刺があり毬彙イガの状を呈している。中国ではこの実を焚いて香をつくるとある。またこの樹の脂を白膠香ビャクキョウコウというともある。
 楓は台湾に多く生じまた中国にも産するが、その他の国には見ない。秋になるとカエデと同様紅葉するが、しかしカエデほど優美ではない。※(「温」の「皿」に代えて「俣のつくり-口」、第4水準2-78-72)ちんこうしの『秘伝花鏡ひでんかきょう』に「一タビ霜ヲ経ル後ニハ、葉ハ尽ク皆赤シ、故ニ丹楓ト名ヅク、秋色ノ最モ佳ナル者、漢ノ時殿前ニ皆楓ヲ植ユ、故ニ人、帝居ヲ号シテ楓宸ト為ス」と叙してある。
 楓はその枝条が弱く、よく風に吹かれて揺ぐから楓の字が書いてあるといわれている。そうするとこの樹の和名をカゼカエデとでもしたらどんなもんだろう。いま植物界では楓の字音フウを和名としているが、何んだかフウはフウはして間が抜けたようであまり面白くない。が、もう台湾も中国に還して日本のものではないから、そんな木の和名はどうでもよいワ、イヤそう捨て鉢にいうもんじゃない。小石川植物園には昔御薬園時代かに来た木も今なお現に生きているし、また今日では諸処にあった木も伐られてそれが大いに残り少なにもなっているから、成るべくはその呼び名も好くして愛護してやるべきだ。
 この楓は日本には産しないから、これをカエデすなわちモミジとするのは無論非である。日本の詩人はカエデの場合に常にこの楓の字を取り上げるとなるとたちまち詩作の上で支障を生じ大いに困ることだと思う。何んとなれば日本のカエデを表わす一字がないからである。しかるに上に書いたように貝原益軒はカエデに機の一字を用いているが、これはもとより怪しい字面でとても詩作などには用いることは出来ない。
 日本の学者は『救荒本草』にある槭樹をカエデにあてているが、これは無論あたっていない。なぜなれば日本のカエデは日本の特産で絶えて中国にはないからである。すなわち中国にないから中国の名がないのが当然だ。そうすると機の字も落第、槭の字も落第、詩人は立往生で死人の如くなるのだ。
 また我国の昔の学者はカエデ(蝦手の意)を表わす漢字名として鶏冠木一名鶏頭木の字面を用意したのだが、これは無論漢名すなわち中国名ではない、すなわちそのカエデの葉形が鶏の冠に似ているというので、そこでこの字を書いたものである。