ナガイモとヤマノイモ
今日私にとっては、こんな問題はもはやカビが生えて古臭く、なんの興味もありゃしない。が、それでも一言せねばならんことがあるので強いてここにペンを走らせる。ものういことだ。
明治二十四年(1891)十二月に帝国博物館で発行になった
ナガイモ
と書き、またジネンジョウに対しては
と書いているが、これは全くの認識不足で、このナガイモもまたツクネイモ(ナガイモの一品)もけっしてジネンジョウ(ヤマノイモ)から出たもんではなく、この両品は全然別種に属するものである。そして今これを学名でいえばジネンジョウすなわちヤマノイモは Dioscorea japonica Thunb. でナガイモ、ツクネイモは Dioscorea Batatas Decne. である。だから、いくらヤマノイモのジネンジョウを培養してみてもけっしてナガイモにもツクネイモにもなりはしない。のみならず日本国中にヤマノイモ(ジネンジョウ)はどこにもつくってはいなく、私はまだそんな実際を見たことがない。そしてこのジネンジョウはやはり「野に置け」の類でその天然自然のものが味が優れているので、これを圃につくってその味を落とすようなオセッカイをする間抜け者は世間にないようだ。やはり山野を捜し回ってジネンジョウ掘りをすることが利口なようである。また
昔からどの学者もどの学者もみなヤマノイモ(ジネンジョウ)を薯蕷だとしていた。が、それを初めて説破してその誤謬を指摘し、薯蕷はけっしてヤマノイモではなくまさにナガイモであることを明かにしその誤りを匡正したのは私であって、私はかつて図入りでその一文を公にしておいたことがあった。それは昭和二年(1927)十二月三十一日発行の『植物研究雑誌』第四巻第六号での「やまのいもハ薯蕷デモ山薬デモナイ」であった。
山薬といい野山薬というと、その字面から推量して軽々にこれを薬食いにもなるヤマノイモのことだと極めているが、しかしこの山薬も野山薬も、家山薬とともに薯蕷すなわちナガイモ(Dioscorea Batatas Decne.)の一名で、この山薬も野山薬もけっしてヤマノイモ(Dioscorea japonica Thunb.)の名ではない。そしてヤマノイモにはなんらの漢名もないのである。それはこの植物が中国には産しないようだからであろう。
全体ナガイモの薯蕷を山薬といった理由はいかん。それは唐の代宗の名が預であるので、当時その諱を避けて薯蕷を薯薬と変更した。ところが後ちまた宋の
薯蕷の野生しているものはみなその根が地中へ直下してその形が長いから、それでナガイモ(長薯の意)といわれ、植物学上ではそれを Dioscorea Batatas Decne. の和名としてナガイモとは呼んでいるが、しかし園圃に栽培せられて同種の中には無論長形(あまり長くはない)の品もあるが、その園芸品には根形が短大になっているものが常形で、それにはツクネイモをはじめとしてヤマトイモ、キネイモ、テコイモ、イチョウイモ、トロイモなど数々がある。
前にも書いたが、昔から山ノイモが鰻になるという諺があって、それが寺島良安の『倭漢三才図会』に書いてある。しかしこれはまじめなこととは誰も信じていないだろうが、中にはまた半信半疑でいる人がないとも限らない。がこれはもとより実際にはあり得べからざることであるのはもちろんだ。しかるにこんな話をつくったのは、多分鰻も精力増進の滋養品、山ノイモもまた同じくヌルヌルとした補強品、そして同様に体が長いから、それで上のようなことを言ったのではなかろうかと想像する。
今は妻のない私に、千葉県の蕨橿堂君から体の滋養になるとて土地で採ったヤマノイモを贈って来た。そこで早速次の歌をつくり答礼の手紙に添えて同君のもとへ送ったことがあった。
精力のやりばに困る独り者、亡き妻恋しけふの我が身は