植物一日一題 牧野富太郎

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 ヒマワリ
 
 中国の『秘伝花鏡ひでんかきょう』という書物に
 

向日葵、一名ハ西番葵、高サ一二丈、葉ハ蜀葵ヨリモ大、尖狭ニシテ刻欠多シ、六月ニ花ヲ開ク、毎幹頂上ニ只一花、黄弁大心、其形盤ノ如シ、太陽ニ随テ回転ス、シ日ガ東ニ昇レバ、則チ花ハ東ニムカヒ、日ガ天ニ中スレバ、則チ花ハ直チニ上ニムカヒ、日ガ西ニ沈メバ、則チ花ハ西ニ朝フ(漢文)

 
とある。ヒマワリすなわち日回の名も向日葵の名も、こんな意味で名づけられたものである。が、しかしこの花はこの文にあるように日に向かって回ることはけっしてなく、東に向かって咲いている花はいつまでも東に向っており、西に向かって咲いている花はいつまでも西向きになっていて、敢て動くことがない。ウソだと思えば花の傍に一日立ちつくして、朝から晩まで花を見つめておれば、成るほどと初めて合点がゆき、古人が吾らを欺いていたことに気がつくであろう。しかし花がまだ咲かず、それがなお極くわかい蕾のときは蕾をもった幼嫩ようどんな梢が日に向かって多少傾くことがないでもないが、これは他の植物にも見られる普通の向日現象で、なにもヒマワリに限ったことではない。しかしとにかく世間では反対説を唱えて他人の説にケチを付けたがる癖があるので、このヒマワリの嫩梢が多少日に傾く現象を鬼の首でも取ったかのように言い立てて、ヒマワリの花が日に回らぬとはウソだというネジケモノが時々あるようだが、しかしついに厳然たる事実には打ち勝てないで仕舞いはついに泣き寝入りサ。
 西洋ではヒマワリのことを Sun-flower すなわち太陽花とも日輪花とも称えるが、それはその巨大な花を御日イサマになぞらえたものだ。明治五、六年頃に発行せられた『開拓使官園動植品類簿かいたくしかんえんどうしょくひんるいぼ』にはニチリンソウと書いてあり、国によっては日車の名もある。そしてその頭状花の周縁に射出する多数の舌状弁花をその光線に見立ったものだ。じつにキク科の中でこんな大きな頭状花を咲かせるものはほかにはない。
 ヒマワリすなわち向日葵の花が、不動の姿勢を保って、日について回らぬことを確信をもって提言し、世に発表したのは私であった。すなわちそれは昭和七年(1932)一月二十五日発行の『植物研究雑誌』第八巻第一号の誌上で、「ひまはり日ニ回ラズ」の題でこれを詳説しておいた。そしてこの文は『牧野植物学全集』第二巻(昭和十年(1935)三月二十五日、東京、誠文堂発行)の中に転載せられている。
 ヒマワリは昔に丈菊といった。すなわちそれが寛文六年(1666)に発行せられた中村※(「りっしんべん+昜」、第4水準2-12-60)てきさいの『訓蒙図彙きんもうずい』に出で、「丈菊 俗云てんがいばな文菊花一名迎陽花」と図の右傍に書いてある。
 宝永六年(1709)に出版になった貝原益軒かいばらえきけんの『大和本草やまとほんぞう』には、向日葵をヒュウガアオイと書いてある。そして「花ヨカラズ最下品ナリ只日ニツキテマハルヲ賞スルノミ」と出ている。これによると、益軒もまたヒマワリの花が日にしたがって回ると誤認していたことが知れる。そしてヒュウガアオイの名は向日葵の文字によって多分益軒がつくったものではなかろうかと思う。
 ヒマワリの実、すなわち痩果は一花頭に無数あって羅列し、かつ形が太いからその中の種子を食用にするに都合がよい。また油も搾られる。鍋に油を布いてこの痩果を炒り、その表面へ薄塩汁を引いて食すれば簡単に美味に食べられる。