植物一日一題 牧野富太郎

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 グミの実
 
 グミの類の花を見ると、花の下に子房のように見えるものがあるので、チョットそこに下位子房があると感ずるのだが、じつはそれは子房ではないのである。すなわちその子房らしいところは花の顔すなわち花被になっているがくの下に続く部の括びれたところで、それはやや質の厚い筒をなした花托なのである。すなわちそこが素人には子房のように見え、グミの花は下位子房があると誤認せられるゆえんである。
 植物分類学を学んだ人は、その真相がチャント分っているから問題はないが、今素人やお子さん達のために一応それを説明してみよう。
 グミの花は筒をなした萼から出来ていて、それに一花柱ある子房と四つの雄蕊ゆうずいとが副うて一個の花を組み立っている。すなわちその萼は筒を成していて口部すなわちいわゆる舷部(Limb)が四片に分裂している。そしてその分裂片はその二片が外となり他の二片が内となって、いわゆる植物学上でいう覆瓦襞ふがへきを呈している。萼の筒部の本の方は括びれて小形となっているが、その部は花托である。その花托の頂が萼筒内での蜜槽となり来客として来る昆虫のため、すなわち我が花粉を柱頭に伝えて媒介してくれる昆虫のために御馳走として蜜液を分泌する。そしてその括びれの筒内に一つの子房がその花托筒に囲まれて立っており、それはけっして花托に合着していなく全くフリーである。この子房の上端には長い花柱があって萼の口までおよんでいて、その先の方が花粉を受ける長い柱頭となっている。グミの花はよい香気を放ち虫ヨ来い来いと声なしに呼んで招いている。そうするとどこからともなくこの花香に誘ない寄せられて果たして昆虫が飛んで来るが、それへの御馳走は前記の通り蜜槽から出る甘い蜜液である。すなわちこれあるがために昆虫が来るのだ。そこで昆虫学者に尋ねたいのはこの花に来る昆虫の名であるが、今果たしてその調査が出来ているのかどうか、覚束ない気がする。
 花がすむとその筒をなせる萼の方は凋むが下の花托の方は生き残り、この残った花托が日を経て次第に大きさを増すのだが、また同時に段々とその外部が肉ぼったくなり、初めは緑色なのがついには熟して赤色多汁となり食用に供せられる。しかしその内壁は硬変して緊密にその内部の果実を包擁している。グミの実を食うとき、タネ(すなわちサネ)の如く残される部が右花托の硬変部でそれは種子の皮部であるかと疑われる。そして果実も種子も共に右花托硬変部の内部に閉在している。ゆえにグミの実は花托と果実と種子とより成っているのである。
 右の多汁甘味の熟実は、これを鳥類の御馳走に供して食って貰い、前日花粉を媒介し実の生るようにしてくれた恩返しを今実行しているのである。すなわち実さえ出来ればグミ家の我が子孫が継げるので、その生存にとってはこの実の出来るのはじつに重大事件である。
 その甘い実を食って御馳走にあずかった鳥は、その花托壁に包まれた果実種子を糞と共にヒリ出して地に落し、そこにグミの仔苗が生えるのである。私の庭にナツグミとアキグミとの二つが偶然に生えたが、これは全く鳥のお蔭である。今にその樹が生長して実が生りだすと鳥君に対して有難うと御礼を言上せねばならないことになる。今また私の庭に二本のヤマブドウが生長しつつあるが、これも鳥君がどこかの深山からその種子を腹中へ入れて遠くここまで空中輸送をなし、我庭へ放下したものである。多分二、三年のうちには花が咲いて実が生るかもしれんと楽しんでいる。
 グミの樹の体上には枝でも葉でも花でも実でも、すべてに放射紋の鱗甲がこれを被覆して特徴を呈しており、この鱗甲は顕微鏡下での奇観である。
 グミの名は国によりグイミと呼ばれる。グイミは杭実クイミ、すなわち換言すればとげの意である。すなわち刺枝ある樹になるのでグイミ、それが略されてグミとなったのである。グミの主品はナワシログミで胡頽子の漢名を有し、その樹には刺枝があってガラガラとしている。そして日本にある最も普通な種はナワシログミ、ナツグミ、アキグミ、ツルグミ、マルバグミである。これに常緑品と落葉品とがあるが、常緑品は秋に花が咲いてその翌年に実が熟し、落葉品は初夏に花が咲いてその年の夏あるいは秋にその実が熟する。