植物一日一題 牧野富太郎

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 サネカズラ
 
『後撰集』の中の恋歌に三条右大臣の詠んだ「名にしおはゞあふ坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな」というのがあって人口に膾炙している。そしてこの逢坂山(昔は相坂あうさかとも合坂あうさかとも書いた)は元来山城と近江との界にあって東海道筋に当り、有名な坂で昔の関所の旧跡であるが今日では近江分になっている。そのかみここに蝉丸という盲人が草庵を結んで住み、かの有名な「これやこの行も返るも別れつヽ知るも知らぬも逢坂の関」という歌を詠んだということが言い伝えられている。
 さて上の歌に詠みこまれてあるサネカズラとは一体どんなものか。すなわちこのサネカズラは実蔓サネカズラの意でその実が目だって美麗で著しいから、それでこのような名で呼ばれるようになったのだ。その実の形はちょうど彼の生菓子のカノコに似て、その赤い実が秋から冬へかけその長梗で蔓から葉間に垂れ下がっている風情、なかなかもって趣きのある姿である。これが時に岡の小藪で落葉した雑樹に懸って見られるが、また往々その常緑葉を着けた蔓をまといつかせて里の人家の生籬につくられ、そこを覗いてみるとよくその赤い実が緑葉の間に隠見している。
 この実は雌花中の雌蕊の花托軸が膨らんで球形となり、その球面に多数の子房の成熟して赤色をなせる球形多汁の漿果が付着しているのである。そしてこの蔓の枝に雄花と雌花とが出てその花は黄色を呈している。蔓は右巻きの褐色藤本で、そのよく成長したものは根元の太さ周囲九寸、根元から一尺五寸許り上の所で周囲五寸六分のものがあった。その外皮は軟質のコルク層がよく発達し手障りが柔らかく、かつ蔓面は縦に溝が出来て溝と溝との間が畦となっている。
 このサネカズラは昔それをサナカズラといったとある。そしてその語原はナメりカズラの意で、サは発語、ナは滑りであるといわれ、このサナカズラが音転してサネカズラとなったとのことであるが、私はその解釈がはなはだややこしく、かつむつかしく、そしてシックリ頭に来なく感ずる。しかしそうするとサネカズラの語原が二つになって、始めに既に書いたように、その一はサネを原とする語原、その二はサナカズラを原とする語原となる。今私の知識から妄りに考えた愚説では、それは恐らくサネカズラが古今を通じた名であって、それがナニヌネの五音相通ずる音便によって昔どこかでサナカズラと呼んでいたのではなかったろうかと推量の出来ないこともあるまいように感ずる。宗碩そうせきの『藻塩草もしおぐさ』「さね木の花」(サネカズラの事)の条下に「さねきさなき同事也」と書いてある。
 サネカズラには美男蔓ビナンカズラの名がある。これにこんな名のあるのはその嫩の枝蔓の内皮が粘るから、その粘汁を水に浸出せしめて頭髪を梳ずるに利用したからである。これは無論女が主もにそうしたろうから、美女蔓の名もありそうなもんだがそんな名はなく、美人ソウの名のみがある。市中の店にビナンカズラと称えて木材を薄片にしたものを売っていたが、これは多分中国から来たもので同国でいう鉋花であろう。すなわちクス科タブノキ属 Machilus の一種で中国に産する多分ナン(クスノキではない)すなわち Machilus Nanmu Hemsl.(今は Phoebe Nanmu Gamble)ではなかろうか。そしてこの樹は日本には産しない。しかしタブノキの材を代用すれば多少は効力がありわせぬか、このタブノキの葉は粘質性でそれを利用して線香を固める。
 上のサネカズラの和名のほかに、この植物には上に書いたビナンカズラとビンツケカズラ、トロロカズラ、フノリ、フノリカズラ、ビナンセキ、ビジンソウなどの称えがある。江州ではこの実の球をサルノコシカケと呼ぶとのことだ。それはブラブラと下がっているその球へ猿が来て腰を掛けるとの意であろうが、それはすこぶる滑稽味を帯びてその着想が面白い。
 このサネカズラの属名を Kadsura と称するが、これは西暦一七一三年に刊行せられたケンフェル(Kaempfer)氏の著『海外奇聞』(Amoenitatum Exoticarum)に Sane Kadsura(サネカズラ)とあるのから採ったもので、これへズナル(Dunal)氏が japonica なる種名をつけて Kadsura japonica Dunal の学名をつくったものだ。
 従来我国の学者はサネカズラを南五味子といっているが適中していなく、これは Kadsura chinensis Hance を指しているのである。また古くはこのサネカズラを五味子とも称えているが、これも無論誤りである。そしてこの五味子はチョウセンゴミシ(朝鮮五味子の意)で Schizandra chinensis Baill. の学名を有するものである。これはただ朝鮮ばかりではなく我国にも自生がある。例えば富士山の北麓の裾野には殊に多い場所がある。
 玄及ゲンキュウという漢名は五味子(チョウセンゴミシ)の一名であるから、これを『倭漢三才図会』、『訓蒙図彙きんもうずい』にあるようにサネカズラにあてるは非である。すなわち玄及はまさにチョウセンゴミシである。