植物一日一題 牧野富太郎

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 ハマカンゾウ
 
 ハマカンゾウ(浜萱草の意)というワスレグサ(萱草)属の一種があって、広く日本瀕海ひんかいの岩崖地に生育し、夏秋に葉中長※(「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48)ていいて橙黄色を日中にらき、吹き来る海風にゆらいでいる。花後にはよく※(「くさかんむり/朔」、第3水準1-91-15)果を結び開裂すれば黒色の種子が出る、無論宿根草である。
 葉はノカンゾウと区別し難く、狭長で叢生し、葉色は敢えてナンバンカンゾウ(南蛮萱草の意)のように白らけてはいなく、またその葉質もナンバンカンゾウのように強靱ではなく、またその葉形もナンバンカンゾウのように広闊ではなく、またその花蓋片もナンバンカンゾウのように幅闊からずで、それとは自ら径庭があり、かつまたナンバンカンゾウの葉はその葉の下部が多少冬月に生き残って緑色を保っている殊態があるが、これに反してハマカンゾウの葉は冬には全然地上に枯尽してしまうことがノカンゾウまたはヤブカンゾウなどにおけると全く同様である。根もまたノカンゾウ、ヤブカンゾウと同じく粗なる黄色の鬚根で、その中にまじって塊根をなしているものがある。そして株からは地下枝を発出して繁殖するから、植えておくと大分拡がり、花時には多くの※(「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48)を出して盛んに開花するが、その花径はおよそ三寸ばかりもある。
 花がすんだ後なおその緑色の※(「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48)が枯れず、その梢部に緑葉ある芽を生ずる特性があるが、初めこの現象あるに気がついたので写真入りで、昭和四年(1929)四月十五日発行の『植物研究雑誌』第六巻第四号誌上にその事実を発表したのは久内清孝君で、同君はそれを相州葉山長者ヶ崎の小嶼しょうしょで採集せられたのであった。そして私はこの種にハマカンゾウの新和名とともに Hemerocallis littorea Makino なる新学名をつけておいた。
 このハマカンゾウは一つの good species であり、また littoral plant である。広く太平洋、日本海の沿岸に分布して生じているから、中国でも四国でもまた九州でも常に瀕海の崖地で見られる。薩州甑島こしきじまに生ずる萱草も多分このハマカンゾウにほかならないであろう。
 琉球ではハマカンゾウは自生していないが、しかしこれを圃隅に植えてその花を食用に供している。そして、これを塩漬にもし泡盛漬にもし、また汁の実にもするが、内地では一向それを利用していない。
 昭和十九年二月に、東京の桜井書店で発行になった吉井勇よしいいさむ氏の歌集『旅塵』に、佐渡の外海府での歌の中に「寂しやと海のうえより見て過ぎぬ断崖だんがいに咲く萱草かんぞうはな」というのがあるが、この歌の萱草は疑いもなくハマカンゾウを指しているのである。
 終りに、上のナンバンカンゾウそのものについて述べてみると、飯沼慾斎いいぬまよくさいの『草木図説そうもくずせつ』巻之六(文久元年辛酉1861)※[#「くさかんむり/(糸+爰)」、U+85E7、241-3]に草(通名)と出で、明治八年(1875)の同書新訂版にはワスレグサ萱草と出ているその植物は、けっして※[#「くさかんむり/(糸+爰)」、U+85E7、241-4]草でも萱草でもまたワスレグサでもなくて、これは宜しくナンバンカンゾウとせねば正しい名とはなりえないものである。慾斎氏はこれを Hemerocallis flava(羅)Geele Dagschoon(蘭)にあてているが、これは無論あたっていなく、そしてその正しい学名は Hemerocallis aurantiacus Baker である。本品は蓋し中国の原産で、我国へは徳川時代に渡来したものである。爾来人家の庭園に栽植せられて一つの花草となっているが、しかしそう普通には見受けない。右『草木図説』には「伊吹山ニ多ク自生アリ」と書いてあるが、これは慾斎の誤認で、同山には絶対この種を産しなく、ただ同山にはその山面の草地にキスゲ一名ユウスゲ一名ヨシノスゲ一名マツヨイグサ(同名がある)すなわち Hemerocallis Thunbergii Baker を見ているだけである。
 右の※[#「くさかんむり/(糸+爰)」、U+85E7、241-12]の字は※(「くさかんむり/(言+爰)」、第3水準1-91-40)の字の誤り、これは萱と同字で、その漢音はケン、呉音はクヮン、共に忘れる意である。