植物一日一題 牧野富太郎

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 辛夷とコブシ、木蘭とモクレン
 
 古来どの学者でも辛夷シンイをコブシであるとして疑わず涼しい顔をしており、また従来どんな学者でも木蘭モクランをモクレンでそうろうとしてスマシこんでいるのは笑わせる。
 辛夷は中国特産植物専用の中国名すなわち漢名であって、一つに木筆とも称せられる。コブシ(Magnolia Kobus DC.)は日本の特産で全然中国にはない。中国にない植物に中国名のあろうはずがない。単にこの一事をもってみても我が日本産のコブシが中国植物の辛夷ではあり得ない理屈だ。そして右のように結論するのが理の当然で、これで古来永くズルズルと来ていたこの問題は潔よく解決した。そしてコブシはコブシであってけっしてこれを辛夷とは書くべからずだ。
 モクレン(Magnolia liliflora Desr.)は昔中国から渡り来った落葉灌木性の庭園花木である。そしてこのモクレンの和名がもとは木蘭かあるいはその一名の木蓮から来たものであるとしても、それは無論名実を誤ったもので、中国の本当の木蘭そのものはけっしてこんな落葉灌木ではなく、この落葉灌木のモクレンこそこれが真の辛夷である。故にモクレンの漢名はまさに辛夷と書くべきであって、断じて木蘭と書くべきではないのである。繰り返していえばモクレンは辛夷、辛夷はモクレンであると心得るべきだ。
 従来日本の諸学者が辛夷をモクレンだと気づかなかった迂濶さにはじつに驚くのほかはない。例えば『秘伝花鏡』『八種画譜』の図を見ただけでもそれが直ぐに判かるのではないか。
 それでは木蘭とはどんなものか。それは中国の湖北省西方からいわゆるしょくの地の四川省にかけて生ずる常緑の大喬木(高さ五、六丈)の名であって、蓮花のような美花を発らき蘭花のような佳香があるといわれる。その心材が黄色なので黄心樹[牧野いう、我国の学者はよい加減な想像でこれをオガタマノキと誤認している]の一名がある。そしてその材では舟がつくられ木蘭舟の語がある。鄭樵ていしょうの『通志略つうしりゃく』にはその書中の「昆蟲草木略」において「木蘭ハ林蘭ト曰ヒ杜蘭ト曰フ、皮ハ桂ニ似テ香シ、世ニ言フ、魯斑ガ木蘭舟ヲ刻ミ七里洲中ニ在り、今ニ至テ尚存スト凡詩詠ニ言フ所ノ木蘭舟ハ即チ此レナリ」(漢文)と記してある。この蘭は無論 Magnolia ママの一種ではあるがその種名は私に未詳である。
 今上の説を一括して解りやすくその要領を述べてみれば次の通り。
 コブシ(Magnolia Kobus DC.)は日本の特産で、中国にはない落葉喬木である。そして全然漢名はないから、これを辛夷というのは絶対に間違っている。
 モクレン(Magnolia liliflora Desr.)は中国の特産で、辛夷がまさにその名である。落葉灌木で庭園の鑑賞植物である。そしてこれはけっして木蘭ではない。
 木蘭(Magnolia sp.)はこれまた中国の特産で、高さ数仭に達する常緑の大喬木である。そしてもとより和名はない。