原子爆弾救護報告書:永井隆
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原子爆弾救護報告書:永井 隆
   
 

原子爆弾救護報告
(昭和20年8月~10月の救護活動についての学長あての報告書)
昭和20年8月~10月
物理的療法科助教授第11救護隊長  永井隆

西森一正

 内容概要

 原子説より発展した原子物理学は新なる動力原として原子エネルギーの解放利用の可能を既に実験的に証明してきたのであるが、米国科学陣はついにこれが兵器化に成功し、昭和20年8月6日広島に第1弾を投じ、次いで8月9日吾等が頭上に第2弾を投じ、大学を中心とする長崎浦上一帯の地を潰滅し、日本をして一挙敗戦国に顚落せしめた。ここに簡単に原子爆弾の原理と爆撃の実況を述べ、一般放射線障害の概念を略記し、次に本隊の行動を詳細に物語り、西浦上、三山町に救護班を推進し、この附近の傷者について経験した事を記載した。ここで吾々は、125名の原子爆弾患者を診療した。その治療延日数は1829日である。開設期間は58日間。従業隊員は12名である。死亡率は23%であった。症状を観察し、その発現期により、即発性、早発性、遅発性、晩発性にわかち、又外傷、類火傷、混合傷、早発性消化器障害、早発性血液障害、遅発性血液障害及間接的障害を記載した。更に治療法として、自家移血刺戟療法を始めて試み特異な卓効を発見し多くの重症者を救った。又鉱泉療法を実施し、これまた卓効を見た。即ち、自家移血刺戟療法では治療日数を対照例に比し、2週間縮少し、鉱泉療法ではやはり2週間縮少した。また環境療法を尊重し、患者を自宅静養せしめた。更に爆心地人体障害の将来を論じ、又原子爆弾に関し当時の体験を基とし色々の考察を試みた。最后に余等の行動について厳粛な反省をなし、敗戦の責任を明かにしようとした。結辞としてこれを機会に日本人の純粋科学への理解、放射線、原子物理学への関心を喚起し原子エネルギー平和的利用を熱望した。


INDEX :
 
第1章 原子爆弾に関する想像
  第1項 原子の爆発
    原子説―原子―原子構造 原子核化電子―核内エネルギー―原子の崩壊
  第2項 爆撃の状況
    意外な爆撃―爆撃方法―被爆状況―此世の地獄 夜の情景
  第3項 原子爆弾の作用
    作用の本態―3種の力―粒子団―電磁波―原子エネルギー―速度―到達距離 撒布密度 反射干渉―電離―二次線―水による吸収
     
第2章 放射線障害の大要
  潜伏期―各組織の感受性―組織障害―全身障害
     
第3章 本隊の行動
  第1項 爆撃当日
    被爆―脱出―患者救出―病院炎上―離脱―露営
  第2項 第2、第3日
    朝の情景―薬事附近の救護―行方不明者の捜索―葬式―本部の活動
  第3項 三山救護班
    地勢―移動―診療開始―哀れな一行―隊員相次いで倒る
   
第4章 今回患者の呈したる症状
  第1項 症状の分類
    症状の特徴―直接障害と間接障害―1次的障害と2次的障害―発症期による分類 即発性早発性 遅発性 晩発性
  第2項 各症状の詳細
    即死―類火傷―外傷―精神異常―全身症状―早発性消化器障害―早発性血液障害―遅発性血液障害―間接的障害―其他
     
第5章 今回患者の諸統計
  第1項 全般に関する統計
    患者数―性別―年齢―爆心地からの距離―転帰―治療日数―症状
  第2項 各傷害別に於ける統計
    外傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害―間接的障害
  第3項 死亡者に関する統計
    死亡者総数―死因―性別―年齢―年齢に対する死亡率―死亡期日―生存期間―爆心地よりの距離―環境
   
第6章 治療法
  第1項 環境療法
    環境と予后一実施
  第2項 鉱泉療法
    鉱泉の効果―六枚板鉱泉―効果
  第3項 自家移血刺戟療法
    方法-成績
  第4項 一般対症療法
    火傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害
   
第7章 将来の予想と対策
  第1項 爆心地の居住問題
    原因の究明―対策
  第2項 人体に起こる障害
    遅発性障害―晩発性障害
  第3項 農作物
     
第8章 考察
  第1項 爆弾
    原料―放射線―沈降残留放射能物質―閃光―爆音―爆圧―火災の原因暗黒―火薬爆弾との差
  第2項 人体損傷
    症状の分類―症状の決定線量―距離―濾過
  第3項 治療
     
第9章 反省
  第1項 事前準備
    指導者の誤導―大学
  第2項 爆撃以後
    油断―状況判断―機械搬出せず―救助状況―自己批判―恐怖
     
第10章 結辞
     
附表 患者名簿   省略
     
第11医療隊(物理的療法科班) 三山救護班名簿
隊長 助教授 永井隆(負傷)
副長 副手補 施焜山(負傷)
  講 師 清木美徳(負傷)
技術雇 施景星(負傷)
友清史郎
看護婦長 久松シソノ
看護婦 大石 百枝
橋本千東子
椿山 政子
技術雇 森内百合枝
医専3年 長井 道郎
堤  一真



 第1章 原子爆弾に関する想像


1 


 


 921

 
 
 1921


 
 


 使便12

2 


 208689


 
10
 1128
退5
 


 


 1姿2
 221


 宿

3 


 調使

3
 3


 12342


 5



 
312


 305601

  
 
 2
 1西


 1


 1,11


 3212150

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 第2章放射線障害の大要



 退


 
1


 
 
 
 便


 宿2

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 第3章 本隊の行動


1 


 椿5


 1椿2椿310椿椿5姿52姿椿5調調3
 1()12


 姿姿

 101
 20


 西113
 



 4竿姿殿

 調3
 10調調5


 711
 鹿
 

 120退殿
 5
 2

2 23


 8105辿


 


 5
 
 811341


 45


 調1
 調
6

3 


 西沿81


 4812
 12


 411使110
 8138椿10


 姿宿宿
 椿椿
 8142
 1085810調1宿


 
 
 108

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 第4章 今回患者の呈したる症状


4 

1 


2


湿退

12
12121222

    
宿113110

2 
1

()

 
1


71

 


()


311

2


穿







2
22

1

4

()




(


 3姿殿

()


1調退宿調尿退

()

    
2110便4042110100%


()2

()

  
22


2

()

      
4851

120%

2

()


1




() 


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 第5章 今回患者の諸統計

第1項 全般に関する統計

(イ)患者数
余等が西浦上、木場郷、川平郷において爆撃後4日目から2カ月日迄に診察した患者。
 患者数 125名

(ロ)性別
男と女との数に差異はない。
 男 62名
 女 63名
 
(ハ)年齢
小児、老人は著しく少ない。これは疎開の関係もあるが小児の多くは3日目迄に死亡し、老人は放射線に対して鈍感であるからであろう。
 小 児(15歳以下) 26名
 成 人(16歳-60歳) 94名
 老 人(60歳以上) 5名
 
()
1756
 半粁以内 3
 1 粁 90
 2 粁 11
 3 粁 16
 4 粁 1
 5 粁 0
 6 粁 0
 7 粁 4

 () 
412
 全 治 79名
 軽 快 10名
 死 亡 29名
 転 出 7名
 
(へ)治療日数
▽作業期間
8月12日より10月8日まで巡回診療を行った。
 期 間 58日

▽治療総日数(延患者数)
余等が加療した日数を患者全体について総計した。
 治療総日数 2829日(人)

▽全治者の治療日数
発病より治癒までの日数の79名の平均は1カ月余りである。
 全治平均日数 34日

▽死亡者就床日数
受傷又は発病より死亡迄の就床期間の29名の平均は2週間である。
 死亡者就床平均日数 14日

 (ト)症 状
▽障害別
同一患者が最初の損傷の外に他の症状を併発することがあってこれは両方に計上されるから本義の総計は患者実数を超過する。

直接的
即発性  外 傷
 類火傷
 混合傷
47名
36名
9名
早発性  早発性血液障害
 早発性消火器障害
6名
15名
遅発性  遅発性血液障害 24名
間接的    間接的障害 2名

▽受傷の有無
爆撃時に無傷にして遅発性障害を起こした者が全体の4分の1ある。
有傷 外 傷
類火傷
混合傷
47
36
9
92
無傷 埋没無傷
無  傷
15
18
33


第2項 各傷害別に於ける統計

(チ)外 傷
▽患者数
前表混合傷中には外傷を有する者があるからこれを加える。
 外傷患者数 56名

▽性 別
 男 25名
 女 31名

▽年 齢
 小 児 7名
 成 人 47名
 老 人 2名

▽爆心地からの距離
倒壊家屋、破損機械、ガラス片による損傷であるから近距離が多い。
 半粁以内 3名(死3)
 1粁以内   51名(死2)
 2粁以内 2名(死0)

▽治療日数(死者転出者を除く)
 最 長 61
 最 短 14
 平 均 33

▽創傷別
 擦過傷 19
 打撲傷 14
 切 創 13
 雑 傷 6
 刺 傷 4

▽転帰
 全 治 34
 軽 快 4
 死 亡 15
 転 出 3

▽死亡者
 外傷者死亡数 15
 死亡率 27%

死亡率は梢高いが、之は後に放射線障害症状を表わした者が多く創傷自身の為死亡した者は少ない。

▽死因
 創 傷 3
 消化器障害 7
 血液障害 5

▽死亡者年齢
 小 児 2
 成 人 12
 老 人 1

(リ)類火傷

▽患者数
 類火傷患者数 45

▽性別
 男 27
 女 18

▽年齢
 小 児 8
 成 人 34
 老 人 3

▽爆心地からの距離
本傷は直射されて生ずるものであるから至近距離にあったものは早く死亡した。それで生存患者は外傷に比べて遠距離が多い。
 半粁以内 0
 1粁以内 20(死5)
 2粁以内 10(死1)
 3粁以内 15(死0)

▽治療日数(死者転出者を除く)
 最 長 61
 最 短 16
 平 均 31

▽転帰
 全 治 36
 軽 快 3
 死 亡 6
 転 出 0


1
 頭 部 1
 顔 部 29
 頸 部 10
 胸 部 10
 腹 部 1
 脊 部 4
 上 肢 30
 下 肢 15

▽死亡者
 死亡数 6
 死亡率 13%

▽死因
類火傷の皮膚から出る分解物質による中毒死が多かった。本病は遅発性の疾患を生じないのが特長である。
 全身衰弱(中毒) 5
 消化器障害 1
 血液障害 0

▽死亡者年齢
 小 児 2
 成 人 4
 老 人 0

 (ヌ)早発性血液障害

▽患者数
 早発性血液障害患者数 6

▽性別
 男 5
 女 1

▽年齢
 小 児 0
 成 人 6
 老 人 0


1
 半粁以内 2(死2)
 1粁以内 3(死3)
 2粁以内 0
 3粁以内 1(死0)

▽転帰
 全 治 0
 軽 快 0
 死 亡 5
 転 出 1

▽症状
 衄 血 4
 吐 血 1
 下 血 1
 創出血 1

▽受傷の有無
 外 傷 3
 類火傷 0
 埋没無傷 1
 無 傷 2

▽死亡者
 死亡者数 5
 死亡率 83%

▽生存日数
被爆より死亡に至る迄の日数
 最 長 18
 最 短 8
 平 均 14

 (ル)早発性消化器障害

▽患者数
 早発性消化器障害患者数 15

▽性別
 男 5
 女 10

▽年齢
 小 児 4
 成 人 11
 老 人 0

▽爆心地からの距離
近距離のものに見られたのは全身急性放射線障害であるからであろう。
 半粁以内 1
 1粁以内 14

▽転帰
全部死亡した。転出者も転出後間もなく死亡したと聞く。
 全 治 0
 軽 快 0
 死 亡 13
 転 出(後死亡) 2

▽症状
下痢高熱は必発症状であった。
 下 痢 15
 高 熱 15
 口唇膿疱疹 4
 口内炎 5

▽生存日数
被爆より死亡までの日数は10余日であった。
 最 長 21
 最 短 7
 平 均 12

▽受傷の有無
埋没者に多く見られた。又無傷にも多く見られた。
 外 傷 6
 混合傷 1
 埋没無傷 7
 無 傷 1

 (ヲ)遅発性血液障害

▽患者数
 遅発性血液障害患者数 24

▽性別
 男                 9
 女 15

▽年齢
 小 児 6
 成 人 18
 老 人 0

▽爆心地からの距離
 半粁以内 0
 1粁以内 20
 2粁以内 0
 3粁以内 1
 4粁以内 1
 5粁以内 0
 6粁以内 0
 7粁以内 2

▽転帰
 全 治 15
 軽 快 4
 死 亡 4
 転 出 1

▽症状
 高 熱 24
 貧 血 24
 皮下出血斑点 22
 歯齦出血 7
 口内炎咽頭炎 7
 脱 毛 9


44
 最 早 13日目
 最 遅 54日目
 平 均 29日目

▽全治日数
全治者の治療日数は自家移血刺戟療法を施したものは著しく短かかった。然らざるものは月余に亘った。
 最 長 38日
 最 短 7日
 平 均 22日

▽死亡者就床日数
経過は奔馬性で発病当初より重篤で速やかに死の転帰を取った。
 最 長 14
 最 短 5
 平 均 9

▽死亡者生存日数
被爆から死亡迄の日数即ち放射線の致死量を受けてからの生存日数である。
 最 長 32
 最 短 17
 平 均 22


退
 外 傷 4
 類火傷 0
 埋没無傷 7
 無 傷 13

▽被爆後の生活
本症の原因としては1次放射線によるもののみならず、現地に長期間放射能を表わしていた彼の2次放射線が考慮されなければならない。
 1、2日中に他処へ避難したもの 14
 長期間現場仮住宅に残っていたもの 9
 当時現場に居なかったが後に居住したもの 1

()

 間接的障害患者数 2

▽爆心地からの距離
 7粁 2

▽症状
 皮膚疾患 2

▽転帰
 全 治 2


第3項 死亡者に関する統計

(カ)死亡者総数
 死亡者総数 29
 死亡率 23.2%

(ヨ)死 因
 外傷 3
 類火傷 4
 混合傷 1
 消化器障害 12
 早発性血液障害 5
 遅発性血液障害 4

(タ)性別
 男         12
 女 17
 
(レ)年齢
 小 児 9
 成 人 19
 老 人 1

(ソ)年齢に対する死亡率
 小 児 34.6%
 成 人 20.2%
 老 人 20.0%

(ツ)死亡期日
 第1週 5
 第2週 14
 第3週 6
 第5週 3
 第8週 1

(ネ)生存期間
 最 長 57
 最 短 6
 平 均 15.2

(ナ)爆心地よりの距離
 半粁以内 3
 1粁以内 25
 2粁以内 1

(ラ)環境
 自宅静養 53名中   7名 13%
 仮小屋 10名中   5名 50%
 多家臨時避難 62名中   17名 27%

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 第6章 治療法


1 


 53 ()2
 使11
 11


 
 


2 


 


 西()宿宿2西301510
効果
 この鉱泉を体温にあたため、温浴或は温罨法に用いた。1日3回、1回1時間宛行わしめた。浴後又は罨法後、オキシフルを以て創面を清拭し植物性油を塗布した。
 効果はすぐれていた。創面は清潔に保たれ化膿せず肉芽は正常で周囲からの皮膚の進入が違った。泉源から遠距離にあって毎日汲みに行かれぬ者や鉱泉療法の効果を疑ってこれを行わなかった者との治癒までの日数には著しい差がある。(死亡者を除く)
即ち平均2週間早く治癒したのである。
なお外傷に対しても有効であった。
類火傷治癒日数 鉱泉療法 20例平均 24日
対  照 19例平均 38日

3 


 
 0.2cc2cc2cc1

 13
血液障害患者治癒日数 自家移血刺戟
療法施行者
12例平均 17日
対  照 7例平均 31日

本療法を施行した例には死亡者を出さなかった。
血液障害患者死亡者数 自家移血刺戟療法施行者 0
対照例 3

 


 

4 

() 
 綿使

()
 ()

()
 C

(
 

()
 CB
 


 
 綿綿CB

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 第7章 将来の予想と対策


1 


 1
 275使


 11
 1
 1
 1
 30
 
 


2 


 1便尿
 尿
 
 

 


 1調
 210212322


3 

 
 

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 第8章 考 察


1 


使




1




調


110

122




5()

1212


爆  弾  の  差  異
  原 子 爆 弾 火 薬 爆 弾
爆発機転 物理的 科学的
主動部分 原子核 原子核外電子
発生物 粒子、電磁波、原子エネルギー 気体、熱、弾片
威力 絶大
原料量
作用 機械的(破壊)、物理的(放射線) 機械的(破壊)
作用時間 連続、減衰的 瞬間的
人体損傷 爆圧傷、外傷、放射線障害、火傷 爆圧傷、外傷(弾片創)
障害発現期 即発性、後発性 即発性
予後判定 困難 容易
後発症状
宿酔

 


2 


122調


 
6







1
照 射 法 の 差 異
  原 子 爆 弾 レントゲン
回 数 1回 1回又は分割
時 間 瞬間 数分乃至数10分
線 量 極大量 危険量以下
線 質 各波長混合 一定範囲波長
距 離 遠(数百米) 近(2、30糎)
濾 過 不定 一定
照射野 全身 病竈
目 的 殺人 救命

○第2次的な残存放射能による照射は少量連続全身照射であって、ラジウム照射に似ている。もっと詳しく云えば、ラジウムエマナチオン浴、即ち、ラジウム温泉に連続入浴している様なものである。
〇一般人が放射線障害を、「爆風を飲んだ」とか「瓦斯を吸った」とか言っている。これはすべて「病は口より入る」ものとしているからであろう。皮膚を透して身体内部に感覚を刺戟することなく障害を与える放射線の認識がないからである。又「毒」なるものを化学的なものときめ易くて、この度の物理的原因による障害に対して、昔からの所謂「毒下し」療法が色々試みられた。


第3項 治療

○自家血液移血による刺戟療法の効果に就いては他の医療機関の追試を乞い、やはり卓効を認められた。その治癒機転に就いては将来研究すべきであろう。余等は更に一般のレントゲン、或いはラジウムの慢性障害、たとえば白血病の如きに試みようと思う。
 迷信的療法は行われなかった。原子爆弾という科学の粋に対しては、まじない師も手が出せなかったのか、一般民衆が戦争の間に科学水準を高めたからであろうか。


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 第9章 反省


1 


 15123
 使


 
 6(調)10()11()調422


2 


 


 


 
 11
 


 2
 2宿1
 552姿


 退退


 1
 1
 
1234西

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 第10章 結辞

 1895年レントゲン博士がレントゲン線を発見し、次でベクレルがウラン鉱の自然放射線を見出し、キュリーがラジウムを発見して此処に放射線及原子物理学の基礎が築かれた。それより今に50年、少数なりと云えども優れた学者が多方面の開拓発展に幾多の貢献をなし、人類福祉に資する処誠に大であった。原子核物理学は純粋科学の精華として一般社会とは一見関係薄きものの如く見え、或者は単なる学者の興味本位の仕事となして尊敬しながら一方軽視していたのである。今突如原子爆弾なるものが爆裂した。これは広島、長崎の上空において青天の霹靂として天地を震駭せしめたが、又同時に科学的に眠れる日本人の頭の中にも青天の霹靂として一大震駭を起したのである。
 自然科学特に純粋な理論科学の重要性を今こそ日本人は覚ったであろう。一見社会とは無関係にみえる学者の研究室の仕事が如何に重大な結果を生むかを今こそ知ったであろう。学者を忽にし冷遇し軽蔑した罪の報を今こそ身にしみて味わったろう。これでもまだ日本人の科学及科学者に対する考え方が改良されないならば日本人は永遠に救われないのだ。
 爆撃以来多くの人々が余等に原子爆弾について質問した。これに説明をしてみて驚いたのだが、てんで話の内容に見当がつかないのである。いかに日本人の科学水準が低いかを知り驚き且つ淋しかった。
 原子エネルギーの解放利用と言う課題は、既に多年、学者の解決せんと努力を続けて来たところであった。時たまたま戦乱となり、その解決に米国が先ず成功し、かかる悲劇において学問の勝利が示されたことを余等は如何なる感慨を以て直視しようとするのか。同胞のために泣き、学問のために喜ぶのである。科学者の勝利而して祖国の敗北!
 幾万の生命を一瞬に奪い、更に幾万の人間に恐るべき障害を胎したこの原子爆弾の1発。其の基礎を作ったレントゲン、ベクレル、キュリー、ラザフォード等の霊魂は天に在って果して如何なる感情を起したであろう。中性子を発見したジォリオ キュリー、或はボーア、ドブロイ、プランク等々この方面の開拓に幾多の業績を立てた人等の感懐や如何。人類の福祉のために彼等は研究を真剣に続けたのであった。しかもそれを殺人の具に利用されてしまった。智恵の木の実を食ったアダムの子孫、弟を殺したカインの後裔のやる仕事であるから仕方がない。
 米国の此方面の泰斗ローレンス、又宇宙線のミリカン等の名が思い出される。彼等が此の仕事に参加したであろうか。かねがね学問の上において尊敬していたこれらの学究が、かかる惨酷な科学の濫用に参加していないことを望んでいる。しかし余等同学の原子物理学者がどうせ作った原子爆弾である。彼等は果たして真に殺人者であろうか。余等はそう認めたくない。彼等は鬼手仏心、必ずや戦争の早期終了、世界平和の再現を熱願し、長崎、広島の犠牲において地球上の多数の人命を救わんとする意向を有したに相違ない。このことは色々の声明などに強調されている。余等はこれを信じ、敢て同学の米国物理学者と放射線医学者の苦衷を吾国民に伝えたい。
 すべては終った。祖国は敗れた。吾大学は消滅し吾教室は烏有に帰した。余等亦夫々傷き倒れた。住むべき家は焼け、着る物も失われ、家族は死傷した。今更何を云わんやである。唯願う処はかかる悲劇を再び人類が演じたくない。原子爆弾の原理を利用し、これを動力源として、文化に貢献出来る如く更に一層の研究を進めたい。転禍為福。世界の文明形態は原子エネルギーの利用により一変するにきまっている。そうして新しい幸福な世界が作られるならば、多数犠牲者の霊も亦慰められるであろう。


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患者名簿(125名)省略

注) ホームページ掲載にあたり、本文中の表現の一部について、現代かなづかい、算用数字へ変更しています。

ENGLISH
  長崎原子爆弾の医学的影響  
  原子爆弾救護報告書:永井隆  
  原爆の医学的影響:西森一正  
  私の原爆体験と原爆障害の大要:調 来助  
  調博士の調査資料  
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