![大和特攻、悲劇へ急転 天皇に忖度、わずか1日で 参謀の証言発掘:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6c75b0efa4c503af62c28f26d3c646b96858d836/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimgopt.asahi.com%2Fogp%2FAS20240708001817_comm.jpg)
自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実で存在したのかどうか気になる 気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼをイメージしている 一兵士の独断による英雄的自己犠牲的自殺攻撃ではなく 組織的に行われた自殺攻撃 「戦列歩兵とか?」 戦列歩兵……マスケット銃を担いで隊列を組んで前進するアレね 何割かは撃たれて脱落することは承知の戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな 自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので 絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い 「捨て奸とか?」 薩摩の死ぬこと前提の足止め戦術ね うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあ
講演した岩井忠正さん(左)と忠熊さん(中央)。忠正さんの娘直子さん(右)が傍らで補助した=東京都新宿区の早稲田大学で2019年11月9日午後1時53分、川上珠実撮影 太平洋戦争中に学徒出陣し、特攻隊員になった兄弟が9日、東京都新宿区の早稲田大で講演した。岩井忠正さん(99)と忠熊さん(97)。今はそれぞれ東京、滋賀と離れて暮らすが、どうしても若い世代に「最後の言葉」を伝えたいと顔をそろえた。これまでそれぞれ講演する機会はあったが、兄弟そろって話すのは最初で最後かもしれない。2人が伝えたかったメッセージとは――。 2人は10人兄弟の五男、六男として熊本市で生まれた。忠正さんは慶応大、忠熊さんは京都帝国大(現京都大)に進み、ともに在学中の1943年12月に旧海軍に入隊した。戦況が悪化の一途をたどる中、忠正さんは人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、忠熊さんは爆薬を積んだモーターボート
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