technologyと研究に関するCherenkovのブックマーク (5)
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2022年9月末で北陸先端科学技術大学院大学の博士前期課程を修了し、修士︵情報科学︶が授与された。働きながら通い始めて丸3年かかった。 学位記。大変だったので嬉しい…とても大変だったので学位記が届いたときは万感の思いだった。ただ、このエントリを書いたのは﹁すげえだろ﹂とかそういうのとはどちらかと言えば真逆の感情で、僕の修士課程がどのくらい低空飛行でどのくらい誰にでもできることなのかを詳らかにして同じような境遇の人を鼓舞することが目的だ。そのために敢えてみっともない、見栄を張りたいなら書く必要のない恥まで含めてある。学位というものに一抹の未練がある人は是非読んで欲しい。 筆者について進学時36歳、修了時39歳。 職業はソフトウェアエンジニア。2児の父。4流大の文学部卒。 暇な人は過去のエントリに詳しいが、別に読まなくても構わない。 入学まで僕が大学院進学を決意したのは元同僚で友人のさのたけと
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目がおかしいんじゃないですよ。 胴体に翼が斜めについてる﹁AD-1斜め翼試験機﹂です。 スピードを上げると0度から最大60度の角度まで翼がぐいぐい回っていきます。一瞬、斜めに飛んで見えますよね。 この斜め翼のアイディアを思いついたのは、NASAエイムズ研究センターのエンジニア、ロバート・ジョーンズ博士です。風洞試験で超音速機︵最大マッハ1.4︶に斜め翼を取り付けると燃料は普通の翼の半分で済む可能性もあることがわかり、いっちょ実機作って調べてみよう! ということに。 こうして立ち上がったのが、﹁AD-1﹂研究プロジェクトです。 実験で知りたかったのは、そんな飛行機があったら航空力学的にどんな特徴を持ち、操縦にはどんな制御法則が要求されるんだろうか? という部分です。 1970年代には遠隔操作の低速・低コストの設備でまずは実験。予想通り、傾斜角45度を超えると空力弾性やピッチ-ロールカップリン
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2010年6月1日 ﹁はやぶさ﹂の遺伝子 はやぶさ運用元学生当番・現スーパーバイザ 森本 睦子1本の論文と勇気を出して書いた1通のメールがきっかけで、私は今、ここJAXAの相模原キャンパスで深宇宙探査工学の研究と、はやぶさ運用の﹁スーパーバイザ︵※1︶﹂として現場の仕事の修行を積んでいます。全ては﹁はやぶさ﹂の遺伝子を継ぐ﹁はやぶさ後継機﹂と、さらにその先に広がる﹁太陽系往復探査時代﹂を私たちの世代で実現させるために。 ﹁はやぶさ﹂が打ち上げられた2003年、私は博士課程の学生としてJAXAの相模原キャンパスに来ました。まもなく﹁学生当番﹂として﹁はやぶさ﹂運用に携わる事に志願しました。 修士まで関西の大学院で宇宙工学を専攻していたものの、実際に自分が惑星探査の現場に携われると思っていませんでした。当時電気推進の軌道設計の研究をしていた私は、ある日川口先生の﹁はやぶさ﹂︵当時はMUSES
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常識破り、型破りの発想をもったクレイジーエンジニアを紹介する第9回は、石井裕マサチューセッツ工科大学︵MIT︶教授を紹介する。直接手でデジタル情報に触って操作できるインターフェース研究で世界をあっと言わせた﹁タンジブル・ユーザーインターフェース﹂はいかにして生まれたのだろうか。 アメリカのMITといえば、約60人のノーベル賞受賞者を輩出してきた世界トップクラスの研究実績を誇る。ここで10年以上にわたって教授を務めてきた日本人がいる。石井裕氏だ。所属するメディアラボは、パソコンの父として知られるアラン・ケイの言葉﹁未来を予言するベストの方法は、自らが未来を作り出すこと﹂をスローガンに、メディアテクノロジーのもたらす未来を描き出す研究を続けてきた。約30人の教授陣には、人工知能の権威であるマービン・ミンスキー氏ら、各分野を代表する研究者が名を連ねる。95年から教鞭を執り始めた石井氏は、その革新
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