本とartに関するCruのブックマーク (5)
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資生堂やパルコのキャンペーンで、1960~70年代の日本にセンセーションを巻き起こし、渡米後は映画や演劇へと活躍の場を広げて世界から喝采を浴びたデザイナー・石岡瑛子。昨年冬から開催されていた東京都現代美術館、ギンザ・グラフィック・ギャラリー︵ggg︶での回顧展も行列ができるほど話題となった。 没後9年、石岡の仕事と生き様がいまなお多くの人々をインスパイアするのはなぜか。クリエイティブ・ディレクター・嶋浩一郎氏と、評伝﹃TIMELESS 石岡瑛子とその時代﹄を上梓し、ggg石岡瑛子展の監修も務めた編集者・河尻亨一氏が、﹁エイコ現象﹂を語り合う。 石岡瑛子とは何者だったのか 嶋 石岡瑛子さんという方はどういう人なのか。まずそのあたりから聞いてみましょうか。 河尻 最初は資生堂のデザイナーとしてデビューしています。前田美波里さんを起用したサマーキャンペーンのポスター︵1966年︶が有名ですね。
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マンガ家、岡崎京子の展覧会﹁岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ﹂が、2015年1月24日(土)から3月31日(火)の期間、東京・芦花公園にある世田谷文学館で開催される。 左)﹃へルタースケルター﹄扉原画 ©岡崎京子/祥伝社フィールコミックス 右)﹃チワワちゃん﹄カバー原画 ©岡崎京子/KADOKAWA ﹃pink﹄﹃リバーズ・エッジ﹄﹃ヘルタースケルター﹄などで、1980年代から90年代の時代を象徴するマンガ家となった岡崎京子は、下北沢の理髪店で生まれ育った。短大在学中にマンガ家としてデビューし、以後マンガ雑誌にとどまらず﹃平凡パンチ﹄﹃CUTiE﹄といった週刊誌、ファッション誌などに次々と作品を発表して脚光を浴びた。 1996年、不慮の事故により活動を休止するが、その後も未刊作品の出版や復刊が相次ぎ、2012年に﹃へルタースケルター﹄が映画化されるなど、今も新たに読者を獲得し続けている。
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