安倍晋三と野田聖子に関するEreniのブックマーク (2)
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安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、彼亡き後の政界の混迷を見るにつけ、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、そこまでの権勢を誇った安倍晋三氏は、一体どのような人物だったのか。野田聖子氏︵62︶氏が振り返る。 ︻写真︼両手を大きく広げ演説をする安倍晋三・元首相 * * * 私と安倍さんと岸田︵文雄︶さんは自民党が政権を失った1993年総選挙の初当選組。同期は少なく、逆風の中で当選してきたから結束が固い。夜は一緒に飲んだり食べたり、その頃から﹁聖子ちゃん﹂﹁晋ちゃん﹂と呼びあっていました。 同期会はおいしいものを食べようと毎月5000円ずつ積み立てていて、私は場所や日程を調整する係で、財布係の岸田さんに、﹁残金いくらある?﹂ってよく相談してた。安倍さんは政界のサラブレッドだからいつも輪の中心にいて、岸田さんをいじったり。安
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自民党総裁選候補者共同記者会見を前に、撮影に応じる︵左から︶河野太郎規制改革担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行=2021年9月17日、東京・永田町 - 写真=EPA/時事通信フォト 自民党総裁選は9月17日、告示された。世論調査では河野太郎・行革担当相が優位に立ち、第100代首相への就任が有力というような報道が目立つ。しかし、一方では安倍晋三・前首相、麻生太郎・副総理兼財務相、甘利明・党税調会長の﹁3A﹂が﹁河野首相誕生﹂の阻止にうごめいている。そして、﹁河野首相は許さない﹂という4人目の﹁A﹂の存在が事態を動かしつつある――。 ︻写真︼自民党総裁選候補者共同記者会見を前に、撮影に応じる4人 ■なぜ野田聖子氏が﹁20人﹂を集められたのか4人目の総裁選出馬表明は、告示前日の16日夕だった。 ﹁推薦人を整えていただき、出馬することになった﹂ 野田聖子・党幹事長代
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