編集元:生活全般板より 969 おさかなくわえた名無しさん :2009/05/27(水) 20:39:46 ID:d4jM7J6I 昔ポストに入ってた幸福の科学のアンケートハガキ Q 大川輶法がブッダの生まれ変わりだということを知っていますか? ・知っていた ・今知った なんだこの二択w
暮らし 宗教界、裁判員に悩む…「人裁けるか」「正式な制度だから」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
小飼弾さんが紹介されていた「人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)」を読んでいるのですが、んー、この手の本をいろいろ読んできた自分には、特に目新しいところはないなぁ、という印象でした。まだ第6章“ヒロシマはキリストである”を残しているので、大逆転があるかもですが。 で、著者の人が第4章で、一神教・多神教を超越した「無神教」コスモロジーなるものを提唱していらっしゃいます。まぁ内容的には特に(ryなんですが、いいなぁ、その、気軽に新しい教えを「提唱」しちゃうの、ぼくもやりたいなぁ、と思って。 というわけで、いよいよぼくも宗教を始めてみることにします。入信するんじゃなくて作るほう。 ///// うっわーやべー乗り遅れた!?と思ったら、なぜか前の列車がちょっと遅れていて間に合ってしまったとか、あちこちの書店を探し回っても見つからなかった本が、なぜか地元の本屋にぽつりと1冊あ
般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです 単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。 ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してそ
バチカン市国のパウロ6世ホール(Paul VI hall)で、毎週定例となっている信者への謁見を行うローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI、2008年12月10日撮影)。(c)AFP/ALBERTO PIZZOLI 【12月12日 AFP】ローマ法王庁は12日、ヒトの胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の医学利用や体外受精を、生命倫理な観点から罪とみなすとする声明文を発表した。 声明文は、クローン技術の人間への応用や、治療やワクチン製造目的でのES細胞利用について、「人間の尊厳を損ねるもので、生命倫理の観点から許容できない」とした。また、体外受精についても、胚の着床を妨げたり胚の排除につながる行為であり、「中絶の罪に相当する」とした。 声明文は、ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)の認可を経て発表されたもので、ES細胞や不妊治療法に対するローマ・カトリック教会
2008-11-17を元にネタ的な書き物をば。 上記エントリでの議論に興味を持たれた方、科学論に興味のおありの方には、以下のブログエントリのシリーズ記事をマジにお奨めさせていただきますにゃ。 「科学的」とはどういうことだろう(その1) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その2) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その3) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その4) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その5) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 -
多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス: 三浦 俊彦 「私」 のいない宇宙はありえたのか 超能力も輪廻も終末もオカルトも、『トリック』 も幸福論も多宇宙も。なぜ論理を尽くさないのか? 厳密なロジックで誤謬を暴き、「人間原理」 で錯覚を正し、観測主体(意識)と宇宙とのあいだを解明する。 【目次】 まえがき 序 この世に生まれることの難しさ / 輪廻の必然性 1 「私」 という不合理 2 純粋個体と純粋自我 3 繰り返す 「私」 4 重なり続ける 「私」 Ⅰ 超能力と超難問 1章 語用論的独立性 ――仮説と証拠の、正しい関係 1 〈手品〉と〈この手品〉 2 〈予言〉と〈首輪の予言〉 3 仮説確証のための必要十分条件 4 〈全体的証拠の同定〉と〈語用論的独立性〉 2章 意識の超難問 ――疑似問題から純問題へ 「私はなぜ他の誰でもなく、三浦俊彦なのか」 の誤謬 1 意識の 「超難問」 ? 2 本物
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