はてなエコーこの文章が碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論――や﹁ゼロ年代の想像力﹂に対するカウンターパートになるか、といえば微妙だけれど、エヴァにおける父と子の構図を﹁決断主義者﹂と﹁ひきこもり﹂の構図として図式化するのはわかりやすいけどそれってほんとに合ってるの? 設定上の構図が持っているイメージだけで語ってないか。と思ったので少し書いておく。もしかするとそこで見落とされている論理展開について。不在の父について。それから決断する女たちについて。そこで思い起こされるのが宇野常寛の﹁碇シンジでは夜神月を止められない﹂――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実際には﹁碇シンジでは碇ゲンドウを止められない﹂と読むべきである。碇シンジと対比されるべき決断主義者はまず彼が主人公であった﹁新世紀エヴァン