![「物語の呪い」が解けた結果として批評が生まれた - novtanの日常](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fdc94b4cbf33087877c5dc555f848c3cf0523151/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F61gJE5bCX3L.jpg)
「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体
【前記事】 ・怒り新党「新三大ジョン・ケージの音楽」がわからなかった人へのガイド #1 4:33 ジョン・ケージと言えば他にも家庭にあるもので音を鳴らす「リビングルームミュージック」だとか、夕べやってた自然音+電子音+意図した音「水の音楽」だとかもある。 今だとサンプリングで、どこかの曲を切り貼りしたりスクラッチして新しい曲にしてそれにラップを乗せたりしてるけど、それを人力でやればジョン・ケージになる。 もしジョン・ケージが生きていれば今のサンプリングを突き詰めていくのかも知れない。 ジョン・ケージのラジオミュージックは複数台のラジオを鳴らしたり止めたりして演奏する。楽器というのは決められた鳴らし方をすれば決められた音が出る。ところがラジオは決められた鳴らし方をしても同じ音は鳴らない。 今のサンプリングならラジオの音を録音して繋ぎ合わせて一曲にしてるようなこと。 それを人力でやったわけだ。
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現代美術家の村上隆が自身に向けられた批判に対して答える。 関連 村上隆の立ち位置や主張に対して、ひとつの見方を提示した方のツイートを別途まとめました Togetter - 「村上隆とセルフオリエンタリズム」 続きを読む
音楽・映像・文章・アートをミキサーにかけてとろりとした口当たりにした、新しいデザートをご提案。(女社長談) twitterで少しずつ「フレーズ」を吐き出してしまうと、体の中に残るものがない。ストレスも残らず、創作の種も残らない。精神的にはスッキリするけれど、何かもう少し体内に残さないと、新しいものが作れない気がする。 そもそも、ネットでもの申すことは、アーティストにはあまりやるべきでないのではと思う。モノを作る人は、こんなところで吐露せずに、心の中に仕舞って熟成させて昇華しないといけないのではないか。ストレスだって創作の種だし、不条理に対する怒りや、大きなものに対する畏怖や、割り切れないさまざまな思いを持っていたほうがいい。 いま、私は創作者ではないのだろう。 スッキリしている。そして怒りもない。 残念がったり悲しんだりするほうがイイ人だけど、私は怒りたいのだ。 年を取るほど怒ら
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