![メメント盛り|ユーリィ・イズムィコ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8bd0c42034d8223316a87b1561e2cbf34a79db55/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F142168862%2Frectangle_large_type_2_b5cec22bfbabae8e4e745cdbac2463e1.png%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)
昔から少しでも時間あれば近所の銭湯行って風呂とサウナ入るんですけど、最近は店ぐるみで「整う」押し付けてきて最悪。デカデカと貼ってあるポスター見たら、 究極の健康法!サ活!始めちゃいましょう!! さあ!みんなで整いましょう!!レッツ!ととのい!! 整うための5か条! 1. サウナは5〜6分がベスト!入った後はしっかりタオルで身体を拭いてね! 2. 水風呂に浸かる時間は数秒でOK!ただし!肩までしっかりと浸かるのがポイント!ムリは禁物だよ! 3. 外気浴はすうるっっせェエエエエボケエエエエエ!!!!!なにが「サ活」だ?なにが「レッツ!ととのい!」だ?なにが「5か条」だ?勝手にキモい条例作んな好きに入らせろバカ!!!お前らのせいでこっちは精神乱れっぱなしなんだが??? あのなあ、俺は単純に汗流したいからサウナ入ってんだよ。「整う」とかどうでもいいんだよ。「整う」とか言ってるやつ全員「整ってる自分
タモリさん 天才的ジャズテナーサックス奏者スタン・ゲッツの克明な伝記。ジャズファンなら必ず聴いているはずだがそれ以外の方なら、ボサノバの名曲「イパネマの娘」でテナーを吹いている人といえば思い出してくれるでしょう。ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスのようにジャズに革命を起こしたミュージシァンではないが、その時代に応じてまたその時の共演者によって美妙に反応し影響を受けながら自分の魂を深めていくジャズマンだ。その才能が見事に開花したのが「イパネマの娘」。ボサノバという当時ブラジルの片隅で生まれたポルトガル語でしか歌われなかった音楽を、全く無名の歌手アストラッド・ジルベルトに英語で歌わせジャズに巧みに取り込んで世界的にヒットさせた。これはジャズ史上最も多く売れたレコードのひとつで一九六五年グラミー賞において投票の結果ビートルズの「抱きしめたい」を抜き最優秀レコードに、またボサノバを創った一人
まあ聞いてくれ、反省はしている、だが後悔はしていない。日本が誇る最高のエンターテインメントショーを味わえたからだ。 これだけは言わせて欲しい。言わないけど、なんて謙虚になるのは勿体無いので声を大にして言いたい。はじめての深い愛おしさは嵐だった、戸惑うほど切実な祈るような恋も嵐だった*1と。しょうがないよね?!??日本経済動かしちゃうような国民的アイドルが木曜日・金曜日・土曜日でコンサート日程組んじゃうんだから従うしかないよね???!?「学校あるんで平日にコンサートやるのやめて下さい」とか嵐様に言えなくね????『平日のコンサート問題』なんて地方学生の誰もが直面するじゃん????「学校終わったら18時からコンサート♡」とかできないしね??????? 平日当たっちゃったんだもん。学校あるけど行くしかないじゃん???????? さらっと「当たったから行った」と書いたけれど、正確には「嵐を好きにな
「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ば
Tokyo JAPANESE people are accustomed to earthquakes. I myself have experienced many since childhood. So I remained calm when the shaking started on the sixth floor of an old multipurpose building in central Tokyo. I only thought, “This is bigger than normal.” But the shaking didn’t stop and the swaying grew more severe. I rushed down a narrow staircase through a cloud of dust. When I turned around
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く