2013年09月19日14:30 「サイコロを1度しか降れない場合1の目が出る確率は1/2」という確率論 分からない人のために作者が回答 Tweet 1: ボマイェ(庭):2013/09/19(木) 10:57:51.54 ID:F25FbNPE0 ■理系代表作家、支倉凍砂先生の確率論 (通称:サイコロポエム、サイポエ) サイコロを一度しか降れなければ 一の目が出る確率は その目がでるか出ないかの二分の一である たくさんの回数を降れてこそ さいころのそれぞれの出る目は六分の一なのである だとするならば どうして人はこれほどまでにたくさんの可能性を未来に見るのであろうか 人はある瞬間を一度しか生きられない ある場面である判断を下せるのは人生においてただ一度である 人生は様々なサイコロをただ一度だけ降る行為を繰り返すことの積み重ねである だとするならば そこに可能性を見ることなど馬鹿げた事なの
自殺する人は前世でも自殺してるし来世でも自殺することになり一生同じ輪廻を回る事になる。 だから自殺だけは絶対やめろってこの前神主の増田が言ってたよ。
最近、TL上でよく目にする言葉「藁人形論法」。 これなんだろう? あまり良い意味で使われていないことはなんとなくわかってる・・・。
ネットでは武田邦彦氏を信用している人がそれなりにいる。武田邦彦氏を信用する理由もさまざまあるだろうが、「『御用学者』たちは原子力発電所は安全だなどと言っていた。武田氏は震災前から原発の危険性を指摘していた」「政府は言うことがコロコロ変わっている。武田氏のほうが信用できる」というものがあるようだ。少なくとも、そのような理由で、武田氏を信用するのは妥当ではないと私は考える。武田氏は、震災前は原発は安全だと言っていたし、震災前後で言っていることがコロコロ変わっているからだ。いくつか引用し、検証してみよう。強調はすべて引用者による。引用部分や強調が恣意的ではないか、という批判が予測される。引用元はすべて明示しているので、恣意的な引用がなされていないかどうかは、読者は適宜検証をおこなって欲しい。武田氏は、しばしば、引用元を明示せずに論評を行うが、私の引用の仕方を気にするような人は、武田氏はさらに信用
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