何万、何十万という人間の死にこの社会が負っている責任を意にも介さないような「国民の正義感情」が死刑制度を支える論拠足りうるのか? を問題にしたエントリに対して、ブクマなりコメント欄なりで文句つけに来た人間の中に、ただの一人も、たとえただのエクスキューズとしてであれ、「いや確かに小泉の責任が追及されてないことは問題ですが」とか「名古屋市民ですがリコールが成立したら河村たかしには入れません」とか「ブッシュは平和に対する罪で訴追されるべきですが、それでも死刑にすべきでないと思いますか?」とか言ってみせた人間がいなかった、というのは極めて興味深いね。 追記 オレ、ちゃんとこう書いておいたんだけどな。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国
私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭
死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書) 作者: 美達大和出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/07メディア: 新書購入: 1人 クリック: 111回この商品を含むブログ (34件) を見る 出版社/著者からの内容紹介 哀しい事実だが、犯罪者のほとんどは反省しない。監獄法の改正後、圧倒的に「自由」になった刑務所では、今日も受刑者たちの笑い声が響いている。裁判では頭を垂れるも内輪では「次は捕まらないよ」とうそぶく彼らを前に、何をすれば良いのか。犯罪者を熟知する著者は、彼ら自身を「死」と向き合わせるために「執行猶予付き死刑」を導入せよ、と説く。現役の無期囚が塀の内側から放つ、圧倒的にリアルな量刑論。 刑務所に入れば、人は「反省」するのだろうか? 僕はずっとそういう疑問を抱いています。 そりゃ、「娑婆」に比べたら自由はきかないし、食事だって娯楽だって劣っているに決まっています。 で
The Associated Press Monday, June 11, 2007; 4:53 AM -- Anti-death penalty forces have gained momentum in the past few years, with a moratorium in Illinois, court disputes over lethal injection in more than a half-dozen states and progress toward outright abolishment in New Jersey. The steady drumbeat of DNA exonerations _ pointing out flaws in the justice system _ has weighed against capital punis
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く