禅に関するaicollageのブックマーク (2)
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臨済宗大本山国泰寺塔頭 龍頭山 江雲庵 1362年、大本山国泰寺三世神會寂岸心光禅師大和尚の開山で本山内塔頭五カ支院の一つでもあり、もとは﹁月光山 江雲寺﹂と称した。山号の由来は旧寺地が氷見市島尾地内の﹁月の森﹂にあったと伝えられることによるものである。 1585年8月、前田利家の命により、本山国泰寺方丈を守山城に書院として招請される際、随伴し、諸般とりはからいの功でにて役院に加えられ、現称の﹁龍頭山 江雲庵﹂の改められた。臨済宗国泰寺派の寺院で本堂︵1977年建立︶の奥内陣の本尊は宝冠釈迦牟尼佛で、脇佛に文殊菩薩と普賢菩薩が安置されており、内陣には禅宗の初祖達磨大師像と庫裡の除災や安全を守る大権修理菩薩像が安置されている。 青少年育成を目的として建てられた蒼龍館道場︵1979年︶には等身大の不動明王立像︵故辻志郎作︶が安置されている。 境内地には6本柱の鐘楼堂︵2003年︶、弁天堂︵19
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禅語の中で最もほっとさせられることばがこの﹁喫茶去﹂である。 去の字は喫茶の強調の助辞であり、去るという意味はない。﹁お茶を一服如何 ですか﹂とか﹁どうぞお茶でも召し上がれ﹂と云う程度の意味に過ぎないが、 ﹁どうぞ、お茶でも召し上がれ﹂という喫茶去の心を日常に生かせるだろうか。 中国唐時代の有名な禅僧の趙州和尚は話である。 その趙州和尚のもとに修行僧が教えを頂きたいとやって来た。 趙州﹁曽︵か︶って此間︵すかん︶に到るや﹂︵お前さんはかって ここに来たことがおありかな?︶ 僧 ﹁曾︵か︶って到る﹂︵はい、以前にも参りました︶ 趙州﹁喫茶去﹂︵さようか、ならばお茶でも一服おあがりなさい︶ またあるとき別の修行僧がやって来た。 趙州﹁曾︵かって︶到るや﹂ 僧 ﹁曾︵かって︶到らず﹂︵いいえ、ここに来たことはありません︶ 趙州﹁喫茶去﹂︵左様か、ならばお茶でも一服おあがりなさい︶ これを聞いてい
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