タグ

社会に関するakaneharaのブックマーク (9)

  • 附属池田小事件の影響は過小評価されていると思う

    附属池田小事件から今年で20年が経過して、6月8日前後に特集が組まれて、先週も同じような内容の番組をやっているのを見たのだが、小学校の警備体制のことばかりで宅間守に対しての論評が全くなかった(被害者への配慮の為か名前すら出さない)のが気になった。 〝凶悪なモンスターからいかに社会を防衛するか〟という観点のみで語られるべきなのか?https://note.com/viappia2472/n/ne3e64fb80ef0 ネットの記事。これも当然あると思う。2019年5月に起きた川崎の通り魔事件では、私立カリタス小の児童や保護者が襲われたし、幸い死者が出なかったためあまり有名ではないが、2010年に起きた取手駅の通り魔では茨城トップの江戸川学園取手高校の生徒が襲われた。黒子のバスケ脅迫事件の無敵の人に関する意見陳述も、宅間の裁判での供述に影響を受けてアレンジしたものだと感じた。 死刑になりたいと

    附属池田小事件の影響は過小評価されていると思う
  • 家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)

    サッチャーが言及した「家族」の意味 「社会なんて存在しません」──これは、マーガレット・サッチャーの「新自由主義宣言」として有名な引用文だ。個人を守ってくれる社会なんか存在しない。個人は自由市場の中で選択と競争をして生きていかなければならない。それがサッチャーのメッセージだった。 1987年にサッチャーが三選を果たした際に、雑誌『ウーマンズ・オウン』に掲載された談話である。正確に引用すると次の通りである。 社会なんて存在しません。存在するのは個人としての男女、そして家族だけです。 新自由主義的な個人主義の宣言としてよく引用されるこの台詞だが、社会は存在しない、存在するのは個人だけだというのにとどまらず、サッチャーが続けて「家族」に触れていることの意味は、これまであまり考えられてこなかった。 イギリスの階級の諸側面を考え、それが現代日の私たちに何を教えてくれるかを考えてきた連載であるが、

    家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?(河野 真太郎)
  • 第9回 「公共の福祉」ってなんだろう?


     (13) 使12
  • 「障害者=感動、勇気をくれる」はおかしい? NHKが「24時間テレビ」放送日に生放送で討論番組


    24NHKETwitter 243982728 使 2012×
    「障害者=感動、勇気をくれる」はおかしい? NHKが「24時間テレビ」放送日に生放送で討論番組
  • 「革命」を目指す若者たち 「中核派」拠点にカメラが入った - Yahoo!ニュース


     196070Yahoo!
    「革命」を目指す若者たち 「中核派」拠点にカメラが入った - Yahoo!ニュース
  • 財政赤字を本気で削減するとこうなる、弱者切り捨ての凄まじさ


    120101945 2012 5  1945
    財政赤字を本気で削減するとこうなる、弱者切り捨ての凄まじさ
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS


     21000   735 16
    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
  • ヘイト・スピーチという危害 | みすず書房

    多くの民主主義国家がヘイト・スピーチを規制する法律を持つ中で、アメリカは日と同じく法的規制がない数少ない先進国である。言論の自由の法的保護の下、ヘイト・スピーチも保護の対象とされている。では、ヘイト・スピーチの標的にされた人々は我慢すべきなのだろうか。そして、ヘイト・スピーチの標的にされていない人々は無関係なのだろうか。 そうではない。ヘイト・スピーチは社会の基盤に重大な危害を与えるものである。ヘイト・スピーチは、標的とする人々の社会的地位を普通の市民以下に引き下ろし、尊厳を危うくすることを意図する。ヘイト・スピーチは尊厳を攻撃することで、社会の基盤にある「安心」という公共財を掘り崩してしまう。 では、ヘイト・スピーチ規制と言論の自由を両立するためにはどうしたらいいか。そのポイントの一つが、尊厳と不快感との峻別である。ヘイト・スピーチ規制は、不快感から守るためではなく、個人の尊厳を守るた

    ヘイト・スピーチという危害 | みすず書房
  • 警察からの問い合わせ電話にこたえるにあたって - davsの日記


      調 
    警察からの問い合わせ電話にこたえるにあたって - davsの日記
  • 1