愛国に関するanimistのブックマーク (4)
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﹁愛国﹂という言葉、使用頻度の激増 日韓関係が緊張を増している今日、日本国内で愛国ムードが高まっている。それが証拠に、ツイッターでは分刻みで﹁愛国﹂という言葉が飛び交っている。しかし、愛国への関心の高まりはごく最近の現象ではない。 最近公刊した拙著﹃愛国の構造﹄︵岩波書店︶で指摘したように、﹁愛国﹂という用語を含む雑誌記事は、1990年代後半から戦後初めて急激に増加し始めた。教育基本法改正問題で揺れた2006年にピークに達したのちは、やや沈静化の傾向が見られる。しかし、現在でも、戦後まもなくのレベルを超える高水準を保っていることにかわりはない︵図参照︶。 現代では﹁愛国﹂という言葉をメディアで目にすることが、戦時中と変わらないほど日常的になっているといっても過言ではない。 だが、そもそも愛国的であるとはどういうことなのか。﹁愛国﹂とは、すなわち、ナショナリズムである、という理解が一般に広く
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マラソンの成績と国旗、どちらが重要なのか――。中国・江蘇省で18日開かれたマラソン大会で、ゴール直前にデッドヒートを繰り広げていた中国人の女子選手がコース上で手渡された中国国旗を落とし、失速して2位に終わったことに、中国のネット上で評価が真っ二つに割れている。 ﹁国旗騒動﹂が起きたのは、蘇州市での蘇州マラソン女子の部。ゴール間近で、中国の何引麗︵ホーインリー︶選手がケニア人選手と並走してトップ争いをしていると、沿道からコース上に人が飛び出し、何選手に国旗を手渡そうとした。突然のことに何選手は国旗を受け取らず、そのまま疾走。すると、今度は別の人がコース中央に立って待ち構え、国旗を何選手の右腕に絡めるように手渡した。 何選手が腕に絡みついた国旗を左手で取り外した時、国旗はコース上に落ちた。そのままレースは続いたが、何選手はペースが落ち2位でゴール。タイムは1位と5秒差の2時間30分30秒だった
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湧き上がった批判の声に対して、野田はツイッターで見解を発表し、軍歌を書こうという意図は﹁1ミリもありません﹂と釈明。﹁戦時中のことと結びつけて考えられる可能性がある﹂との指摘については、﹁腑︵ふ︶に落ちる部分もありました﹂としたうえで﹁傷ついた人達、すみませんでした﹂と謝罪した。 多くの論者が指摘するのは、歌詞に登場する古語の不自然さだ。辻田真佐憲は﹁WEB版現代ビジネス﹂︵6月11日︶に掲載した﹁RADWIMPS衝撃の愛国ソング﹃HINOMARU﹄を徹底解剖する﹂で、愛国ソングとしての完成度の低さを論じている。歌詞は﹁古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない﹂。しかも、古語にこだわりを見せているわりには﹁日本語の使い方が雑すぎる﹂。言葉の使い方の失敗により、この愛国ソングが﹁フェイクであり、空洞であることを﹂露呈してしまっている。
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﹁HINOMARU﹂は明確に愛国ソング ﹁さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に﹂などと歌う、RADWIMPSの新曲﹁HINOMARU﹂︵野田洋次郎作詞・作曲︶が﹁軍歌っぽい﹂として話題になっている。 軍歌云々はあとで触れるとして、この歌はなにより明確に愛国歌︵愛国ソング︶である。 まず、歌詞の内容を確認しよう。 この歌は、﹁あなた﹂と﹁僕ら﹂でなっている。 ﹁あなた﹂とは、﹁御国﹂であり、﹁日出づる国﹂であり、﹁帰るべき﹂祖国であり、﹁守るべきもの﹂である。 これにたいし、﹁僕ら﹂とは、日の丸を仰ぎ見ると感情が高まる者たちであり、﹁気高きこの御国の御霊﹂を身体に宿す者たちであり、父母から歴史を受け継いだ者たちである。 そして﹁僕ら﹂は﹁さぁいざゆかん﹂と鼓舞され、﹁あなた﹂の﹁御名﹂の下に、どんな困難があろうと突き進んでいく。たとえ﹁僕ら﹂の身が滅んでも、﹁あなた﹂は永遠に栄えよと願い
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