支那︵しな︶またはシナとは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。日本では江戸時代中期から広まったが、第二次世界大戦後は差別的意味合いがあると主張されて使用が批判される傾向がある[1]。 言葉の由来[編集] 1938年︵昭和13年︶に日本で発売された﹁支那大地図﹂。この地図によれば、中華民国と満州国だけでなく、モンゴル人民共和国を﹁外蒙古﹂としてその範疇[注釈1]に加え、後にソ連へ併合されたトゥヴァ人民共和国をも入れている。また、いわゆる漢民族の居住地でない東トルキスタン︵ウイグル︶とチベット︵地図では﹁西蔵﹂︶も入っており、広範囲の地域名でもあった。 支那という言葉の語源は諸説あるが、明朝時代末期にこの地域にいたイタリア人イエズス会宣教師衛匡国︵マルティノ・マルティニ︶による著作 "Nuvus Atlas Sine
![支那 - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/92a9689ce9072922d9e5881d155867d010aa3023/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fd%2Fd0%2F1937-china-map.jpg)