すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、﹁保育園落ちた 日本死ね!﹂ということだが、私が気になっていたのは、﹁日本死ね﹂という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に﹁中国死ね﹂や﹁韓国死ね﹂という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、﹁日本死ね﹂ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日本人なら﹁日本死ね﹂と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日本人なら﹁日本死ね﹂と言ってよいのだろうか? あるいは、日本人なら﹁日本死ね﹂と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう?
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