人間と絵に関するboooboooのブックマーク (3)
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22歳の無職は笑えないなどと、芯から思ってもないことをうそぶいているあいだに、おれは23歳になり、24歳になり、とうとう今年の春には25歳を迎えようとしている。25歳の無職、それも何か具体的な目標のある無職ではなく、ただ就職という選択を先送りにしているだけの後ろ向きで消極的な25歳無職は、本当に誰も笑えない。 2022年の3月に大学を卒業してから、もうすぐ2年が経つ。そうするとつまり、今から就職を目指すとしても、21年の3月から就職活動を始めていた大卒の同級生とは、スタートが最大で3年ズレていることになる。高校を卒業してすぐに働き始めた同級生からは、6年も7年もズレている。だからそろそろ時効だと思って、今まで触れることのできなかったあれこれについて書く。 ✱ ✱ ✱ 人の輪に入っていけない、みんなとうまく馴染めないと初めて思ったのは、幼稚園の頃だった。声をあげて楽しんだり、
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犬の表情が思い通りに描けなくて、顔をしかめている人。80人近くの人々が、各々の机に向って、何やら描いたり、色を塗ったりしている。楽しそうな顔、困惑している顔、描いている動物と同じ表情をしている顔。 小学生の﹁図画工作の時間﹂を、そのまま大人に置きかえたと考えればまちがいない。 奥山玲子さんの涼し気な顔もこの中にある。 昭和10年生れ。7年前にできた東映動画スタジオに働く女性アニメーターの中では、いちばんのベテランである。 美校出、というよりは、好きで飛びこんで来た人が多いというこのスタジオの中でも、彼女のようなケースは、変り種に属する。 ﹁みんなにおよそ似合わないっていわれるんですが、東北大学の教育学部にいたんです。父がスパルタ教育で、無理に入れらてしまって﹂ ところが、どうしてもがまんできずに中退して上京した。 そして、外国語大学に入るつもりで、受験までのあいだアルバイトに、新聞広告で
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このnoteをすべてのインターネット探索者(Internet Explorer)達に捧げる。 2018年12月31日、新卒入社して3年半勤めた会社を辞めた。東京の八重洲にある、フリーペーパーやWebサービスを作る会社で働いていた。いわゆる﹁文系プログラマー﹂というやつで、文系学部を卒業後、会社に入ってからプログラミングを覚えた。現在は退職してフリーランスになり、個人で開発しつつ、ずっと漫画を描いている。3年半のあいだ、大きく分けて2つの失敗をした。 1. プログラミング入門の仕方に失敗した 2. プログラミングを覚えてから何をすればいいかわからなかった 前者の失敗の結果、プログラミングを投げ出して京都に逃亡した。後者の失敗では精神を病み、3ヶ月休職をすることになった。前者は笑い話だが、後者は人生に暗い影しか落とさない。これからプログラミングを始めようと考えている人には同じような失敗を避け
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