政府、自治体首長、そして医療界はこの1年あまり何をしていたのか。菅義偉首相が4都府県を対象に3度目の緊急事態宣言を出したのは、医療の提供能力が感染の増大に追いつかなくなったためだ。感染第1波の昨春から、まん延防止等重点措置を適用したこの4月までを通じ、結果としてこれら3当事者が責を果たしたとは言い難い。日本の医療がコロナに敗れるのを座視はできない。感染増大地域の知事らが責任をもって効果的で効
明けましておめでとやで。 日本を愛するニキネキ、反日のウヨさん、 本年もどうぞよろしく。 遅なってしもたけど、 大日本帝国を美化しとるウヨさんへ宛てた年賀状を書いたんや。 めちゃ長いから、覚悟して読んでクレメンス。 出典・参考『データで見る太平洋戦争』髙橋昌紀(毎日新聞出版)『南方占領地行政実施要領』(国立公文書館アジア歴史資料センター)『「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々』辻田真佐憲(現代ビジネス)『大東亜政略指導大綱』(国立公文書館アジア歴史資料センター)『私の軍政記 インドネシア独立前夜』斉藤鎮男(日本インドネシア協会)『大和民族を中核とする世界政策の検討』(国立国会図書館デジタルコレクション)『ガンジーから、「すべての日本人への手紙」』(HKennedy の見た世界)『ベトナム独立宣言』(Wikipedia)『ラダ・ビノード・パール』(Wikipedia)
特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言
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