日本と皇室に関するboooboooのブックマーク (4)
-
だれが﹁天皇﹂を作ったのか おれは前に、易姓革命の対象にならない、中国の皇帝とも違う、ほかの国の﹁王﹂とも違う、﹁神格化された天皇﹂についての本を三冊読み、その感想を書いた。 古代日本と天皇の起源に興味を持ったので、いろいろ調べてみた。 そこで松本健一がこんなことを述べていた。 日本の古代国家において、そういう虚構をつくりあげた人物︵もしくは組織︶があったことは、たしかである︵現在の私は、その人物が天武であり、その協力者が藤原不比等だったのではないか、と考えている︶。 ﹃﹁孟子﹂の革命思想と日本﹄ そう、天皇の神話というものは自然発生的に生まれたものではないだろう。自然発生したところがあったとしても、それをまとめた﹃日本書紀﹄の編さんにおいては、その時の権力者による希望が反映されていないわけがない、そう思った。 で、だれなんだ? とか思いながら、古代日本あたりの本を読んでいて、こんなタイト
-
昭和天皇のクズ発言・クズ行動一覧昭和天皇がいかにクズ人間であったかがわかるエピソードをまとめています。太平洋戦争中・後を通じて国民の命をなんとも思っていない本音がわかるクズ行動、戦争責任をまるで感じていないクズ発言を一覧表記しました。 2019年8月6日 2022年7月30日 政治 あいちトリエンナーレ2019における﹁表現の不自由展﹂で、昭和天皇の写真がガスバーナーで焼かれる作品が出展され、昭和天皇に再び注目が集まっています。 昭和天皇は大日本帝国の元首、そして日本国の象徴として、2つの時代を生きた天皇です。大日本帝国時代は﹁神﹂として崇拝の対象にもなっており、その影響は戦後にも残りました。現在も皇室への過度の批判はためらわれる、ある種のタブーが存在することは否定できません。 しかし、戦争に最高責任者として関わったからには、歴史の審判を受け、正しく批評されなければいけません。 戦後の﹁太
-
はんどう・かずとし/昭和5︵1930︶年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。﹃日本のいちばん長い日﹄は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。﹃ノモンハンの夏﹄﹃昭和史﹄﹃文士の遺言﹄など著書多数 ﹁昨年、当時の天皇陛下の侍従から、﹃秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください﹄という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした﹂ 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが﹁
-
皇太子さまは21日午前、デンマーク訪問を終え、帰国した。天皇陛下の退位を実現する特例法成立後、初めての外国訪問。次の天皇として手厚いもてなしを受けた。市民とのセルフィー︵自分撮り︶に気軽に応じるなど、新しい皇室の姿も垣間見えた。 滞在半ばの17日、皇太子さまは公式行事の合間を縫って、運河沿いを散策した。地元の人々に﹁ここにはよく来るんですか﹂と話しかけたり、握手を交わしたり。ハイネさんという男性から携帯電話のカメラでツーショットのセルフィーを頼まれると、気軽に応じ、そばにいた宮内庁関係者を驚かせた。4月のマレーシア訪問でも、ナジブ首相とのセルフィーがネットに流れ﹁前例がない﹂と話題になった。 幼稚園児にしゃがみ込んで声をかけたり、予定時間を超えて対面者と接したり。より身近で、より時代に即した皇族像を求めているように感じた。 デンマーク王室のもてなしも印象的だった。到着時には、フレデリック
-
1