若林 宣 @t_wak 徳山の第三海軍燃料廠は対日禁輸発動前に買ったカリフォルニア産原油のストックを1944年まで持っていて、それを精製していたという知見を得た。42年は加州産原油55万Kl、43年は蘭印産29万、加州産26万。44年で蘭印産24万、加州産22万6千。45年は蘭印産1万2千で万事休す。 2017-05-09 23:11:08 若林 宣 @t_wak なお蘭印産の原油は四日市には回されなかったそうなので、それで以上の数字ということは、はぁー帝国海軍はカリフォルニア産の原油に頼って飛行機を飛ばし軍艦を動かして対米戦を戦ったのね、と。カリフォルニア産の原油の尽きた時が運の尽きだったと。 2017-05-09 23:14:07
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用途:戦闘機 設計者:クルト・タンク 製造者:FMA(Fábrica Militar de Aviones) 運用者:アルゼンチン空軍 初飛行:1950年6月27日[1] 生産数:5機(静止テスト用1機、飛行テスト用4機) 退役:1960年 運用状況:試作のみ FMA I.Ae. 33 プルキー II(FMA IAe 33 Pulqui II、先住民族のマプチェ語でPulqúiは矢の意)[2]は、1940年代の終わりにペロン政権下のアルゼンチンでクルト・タンクが設計し、航空工廠(スペイン語: Fábrica Militar de Aviones:FMA)で製作されたジェット戦闘機である[3]。航空工廠は、完成しなかった第二次世界大戦時のTa 183 フッケバインの設計要素の多くを具現化した[4] I.Ae. 33 プルキー II を アルゼンチン空軍に就役しているグロスター ミーティア F
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