禅と仏教に関するdeadwoodmanのブックマーク (2)
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﹁赤ちゃん﹂のようなナチュラルな坐り方を 実は、こうした仏教のとらえ方は、まだ一般的ではありません。私は死者の供養が主流の仏教を﹁仏教1.0﹂、自分の問題解決のためのテクニック的仏教を﹁仏教2.0﹂と呼び、この2つを乗り越えようとする仏教として﹁仏教3.0﹂という概念を提唱しています。仏教にもアップデートが必要なのです。私は曹洞宗の僧侶ですから、伝統的仏教を否定するわけではありません。しかし、そこには現代のわれわれにとって不十分な点があると感じています。 坐禅のためには、リラックスできる安全で静かなスペースが必要です。曹洞宗の開祖道元も夏は涼しく、冬は暖かくして、食べ過ぎたり、お腹がすき過ぎたり、寝不足でないように環境と自分をちゃんと準備してから坐りなさいと言っています。 理想の鋳型に自分をはめ込んで坐禅をしようとすると、必然的に緊張や力みが生じて、強制や拘束による他律的な坐禅になってしま
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﹁燃えあがる怒りを抑えられない﹂。その悩みは﹁怒りを抑えよう﹂とする限り消えない。﹁新しい仏教﹂が授ける想定外の解決法とは──。 瞑想や苦行に逃げず﹁煩悩﹂に親しむ 私は禅宗の僧侶です。思うところあって、28歳で東京大学大学院を中退し、曹洞宗の修行道場に入門しました。翌年に僧侶となり、33歳のときに渡米。マサチューセッツ州の小さな坐禅堂で、2005年までの17年半、坐禅を英語で指導していました。 仏教、とりわけ坐禅に関心をもつアメリカ人は少なくありません。見ることのできない神を信じなさいと言われるキリスト教に比べて、仏教のアプローチはすごく具体的です。身心を調えて静かに坐ることが、そのまま仏教を“やる”ことになるからです。 アメリカの坐禅会では、﹁自分自身の怒りっぽい性格に困っています。坐禅を組めば、性格を変えられますか﹂という相談をよく受けました。私はいつも、こうアドバイスしていました。
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