朝日新聞と歴史に関するdenkenのブックマーク (7)
-
こちらは独自ドメインからレンタルサーバー、フレッツ接続専用会員までトータルサポートのプロバイダー、BiG-NETです。 いつも弊社ユーザーのページにアクセスをして頂きましてありがとうございます。 http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/si_1_1.shtml 404 Not Found (ファイルが見つかりません) 申し訳ございませんが、お客様がアクセス要求されました上記ページは、現在アクセスが出来ません。 弊社では、なぜアクセスできないのかと言う第三者からのお問い合わせにはお答えすることが出来ません。 もしこのページの関係者をご存知でしたら、連絡を取ってみることをお薦め致します。 何卒ご容赦下さい。
-
﹁日本は侵略戦争をしたの?﹂﹁A級戦犯って、なあに?﹂﹁首相が靖国神社に参拝すると、なぜ問題になるの?﹂ 子供に問われ、困っているお父さん、お母さんも多いことだろう。 戦後61年の夏。今や親も子も戦争を直接には知らない。しかし、戦争の体験がないからこそ、わだかまりなく歴史を見つめることもできる。 日本の敗戦で終わった、あの戦争は何だったのか。その責任は、だれにあるのか。いろいろな本を手がかりに、親子で語り合ってみてはどうか。 ●満州事変から泥沼へ 最近は、左右のイデオロギーにとらわれずに戦争を直視する本が目につく。 たとえば、評論家の松本健一さんの﹁日本の失敗﹂︵岩波現代文庫︶という本がある。1945年の敗戦に至るいきさつを豊富な資料で追っている。 日本は明治維新の後、日清、日露の戦争に勝つ。朝鮮半島を植民地にし、中国に進出していく。15年近くも続く泥沼の戦争の始まりになったのは、日本軍
-
朝日新聞 2006年5月15日付夕刊 連続インタビュー 歴史認識 韓国編3落星台経済研究所研究員 パクファンムさん︵ネット上のソースなし︶ ﹁敵対的な共犯関係﹂。日本と韓国の間の歴史観の相克を、そう名づける。 靖国神社や歴史教科書など両国間に問題が起きると、日本の左派と韓国のナショナリストたちが共闘するように批判の声をあげる。反発した日本の保守派はいっそう硬化する。韓国で民族主義の枠を超えた研究をすると、日本のナショナリストたちが利用して、そのような研究は韓国内で一段と白眼視される。互いの国の右と左が同盟のような関係にあり、結果として残るのは強化されたナショナリズムと対立だけだ、という分析だ。 ■ ■ 背景には苦い経験がある。日本語史料に通じる研究者は韓国には少ない。研究するほど﹁日本びいき﹂との批判を浴びる。 自ら企画し、ソウルで3月に開催したシンポジウム﹁日帝の戦時体制と朝鮮人動員
-
自分の受けたのが﹁反日愛国教育﹂だったと、日本の報道で初めて知った。だが、﹁いくら思い返しても、まったくリアリティーがありません﹂。 世界史の時間では、英国の産業革命や米国の独立戦争など、欧米の近代化の過程が重視された。 経済発展が最優先だった中国社会の雰囲気をよく示していた。しかし、中国史の授業は古代史が中心で、近現代史で何を習ったのかは覚えていない。 アニメの﹁一休さん﹂が好きだった。中学校のバレーボール部ではテレビドラマをまね、合言葉は日本語だった。﹁反日愛国教育﹂を受けた世代は、日本の文化に親しみながら育った。 ﹁中国の若者の日本に対する感情がどのように作り出され、どのように変化しているのか。複雑で様々な力が交錯するダイナミズムの中で分析することが必要なのではありませんか。実態を示しているとは思えない1語で簡単に説明できるものでしょうか﹂。日本での風潮に強い疑問を感じる。 日本の近
-
-
朝鮮半島が日本の植民地だったころ、多くの朝鮮の人たちが故郷を後にし、日本や戦地に渡った。自らの意思で行った人もいれば、企業や軍に徴用された人も少なくない。 そこで死傷したり、賃金をもらえなかったりした人々の被害を、韓国政府が救済することになった。 徴用されて死傷した人や遺族に最高240万円の慰労金を出し、帰還者の医療費を支援する。未払い賃金など未収金については、現在価値に換算して支払う。来年から実施する計画だ。 李海サン︵イヘチャン︶首相は﹁遅きに失したとはいえ、国民を保護しなければならない国家の当然の責務だ﹂と強調した。 植民地から解放されて60年、日本と韓国の国交正常化から40年が過ぎた。なのに、いま韓国政府が﹁過去﹂に対してこうした措置をするのには理由がある。 国交正常化の際、日韓は互いに請求権を放棄し、日本が5億ドルの経済協力をすることで合意した。徴用者らの被害については、当時の朴
-
朝日新聞2月25日付朝刊︵ネット上のソースなし︶ ﹁平和憲法広める使命、在日に﹂ 韓国籍弁護士 金敬得さん﹁遺言﹂ 韓国籍のまま初の司法修習生、弁護士となり、数多くの人権訴訟に取り組みながら56歳で昨年末に亡くなった金敬得さんが﹁日本国憲法への思い﹂を遺していた。がん末期の病床から﹁日韓、日朝の架け橋である在日は平和憲法を東アジアに広めていく使命を担う﹂と口述筆記で訴えた﹁遺言﹂は、25日午後1時から東京・神田駿河台の全電通ホールで開かれる﹁しのぶ会﹂でも公表される。 ︵本田雅和︶ 金さんは昨年11月の日韓市民交流集会での基調講演を頼まれていたが、胃がんの症状悪化で10月17日に入院。﹁せめて文章だけでも﹂と自ら法律事務所に電話をかけ、職員に筆記を頼んだ。 職員はパソコンを前に約時間、その言葉をA4判枚に打ち込んだ。途中、20分ほど中断した。﹁もうろうとするから﹂と鎮痛剤を避けていた金さ
-
1