journalismに関するdjsouchouのブックマーク (6)
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ここは﹁うどん県﹂香川。 ランチには1杯200円でおいしい讃岐うどんが食べられるし、飲んだ後も〆にはカレーうどんが定番です。 NHKに入ってから、函館、福岡、東京ときて、香川県の高松放送局で4か所目の勤務。未踏の地だったけど、瀬戸内海に面した風光明媚な土地だし、いい場所に来たなあ。 高松から東南アジアに進出するうどん店の経営者を追って、小型カメラ片手にシンガポールに出張したこともありました。カメラマン人生、満喫! そんな時、ある怪しい話を聞いてしまったのです。 ﹁秋に高松で開かれる国際学会に、アフリカからおかしな参加申請が相次いでいる﹂ これは匂います、事件の匂いが…。 その暑い夏の日から、私の調査報道が始まったのでした。 楽しい高松生活、それが…高松に赴任して2年が経った、2015年夏のこと。 現代アートの祭典﹁瀬戸内国際芸術祭﹂が開かれ、街中で外国人観光客の姿をよく目にするようになって
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最近つくづく思うのですが、下世話が王道を上回ってないだろうか? こんなんでいいのかと思う。 下世話の象徴=週刊誌によるツッコミ 例をあげていきます。 まず週刊誌。下世話さの象徴です。これに対しての王道は新聞やテレビが浮かびます。 私は、週刊誌は猟犬だと思っている。獲物をとってくるけど、猟犬自身には﹁良い獲物﹂も﹁悪い獲物﹂もない。社会派ネタだろうが芸能人の不倫だろうが目の前にあれば獲る。スキャンダリズムが大事。なのでやたら過大評価するものでもない。 このところ﹁週刊文春﹂という猟犬は、“東京五輪の開閉会式の演出”を口にくわえてどんどん獲ってきてます。下世話です。 これに対して五輪組織委員会は﹁掲載誌回収﹂﹁文春オンライン記事の削除﹂を求めた。すると文春は﹁税金が投入されている公共性の高い組織のあり方として、異常なもの﹂と指摘。返り討ちでその闇体質をツッコんでいた。 回収要求なんてしたら逆に
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﹁知る権利﹂を言うばかりではなく 最近、私はどうも心がザワザワしている。理由はまこと理不尽だ。複数のニュースアプリの通知で、下記のような文章が何度もスマホに送られてくるからである。 さらにツイッターを開くと、この﹁安田﹂氏は﹁ジャーナリスト失格﹂だの﹁ウソツキ﹂だのと散々な言われぶりである。私はたまたま彼と同姓の同業者であるせいで、今回の安田氏の解放にあたり、彼の親族を除けば日本で最もビビっている安田となっている。 念のために確認すれば、私は中国ルポライターの安田峰俊︵36︶であり、昨今話題のフリージャーナリストの安田純平氏︵44︶とは面識も血縁関係もない︵少なくとも﹁ひいひいじいさん﹂以降の縁者でないことは100%確実だ︶。 また、同業者とはいえ、イスラム圏でのハードな戦場ジャーナリズムに身を浸す安田氏と、B級ネタも含めた中国関連記事を得意とする私に業務上の接点はない。後述する寄稿媒体を
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﹁イスラム国﹂人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き、﹁翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明﹂を発表した。インターネットなどを通じ、映画監督森達也さん、社会学者の宮台真司さん、作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し、NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。 ﹁政府が主権者やメディアに監視、検証され、批判されることは当然のこと。批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない﹂。そう指摘するのはジャーナリストの今井一さん。今月2~4日、衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑とNHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。2日は4分以上報じる民放がある一方、多くが1分以内。約20秒の番組もあった。﹁メディアは﹃自粛﹄しているという自覚がない。非常に危険だ﹂ 元経済産業官僚の古賀茂明さ
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お久しぶりの更新が、こんな内容ですみません。 うーん。 さすがに参った。 一応、こういうつもりだったんだけどね、っていうのを書いておいたほうがいいかなと思います。1月20日の午後20:00ごろに、知人の紹介ということで、共同通信社の記者さんからお電話をいただきました。 後藤健二さん、湯川遥菜さんとみられる人物を、﹁イスラム国﹂が拘束し、日本政府に身代金を要求しているというYouTube映像に関して、合成の疑いがあるが、映像制作に携わる人間としてどう見られるか?という趣旨の問いでした。 お世話になっている方からの紹介でもあったので、分かることは話そうかと思い、電話での取材を受けました。 前提として、自分は合成も行うが、メインは映画やドラマの編集技師であって、合成に詳しい人間はもっと他にいるから、紹介しようか?という提案を却下されてのことです。 自分としては、 ﹁確かに、影の方向が左右の二人
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1986年春、私が大学を卒業して新聞記者になりたての頃、赴任先の三重県津市での話だ。夜﹁知的障がい者﹂の合唱コンサートがあるというので、カメラを片手に県のホールに出かけた。 当時の私の担当は警察署で、交通事故や火事で人が死んだ、重体だ、とそんな取材ばかりしていた。こういう﹁福祉もの﹂ほか﹁街ダネ﹂は、私のような一番下っぱ、取材技術の未熟な新人記者の仕事になっていた。 支局の事務所に﹁行事のお知らせ﹂とかいうファクスが来る。デスクが﹁烏賀陽君、これ見に行っておいて﹂と私に﹁振る﹂のだ。 会場のホールに入る。受付で名刺を出して来意を告げると、中から初老のやせた男性が出てきた。きっちりした背広を着ている。その福祉施設の理事長、と名刺に書いてあった。 ﹁あんたが朝日サンかいな﹂ 孫のような23歳の私を見た理事長は、ニコニコしながら言い放った。 ﹁あんたら、コロシやタタキやいうて殺伐とした記事ばかり
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