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『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』公式ホームページ
現在から約50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2...
現在から約50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派・革マル派︵日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派︶による凄惨なリンチが死因だった。好奇心旺盛な普通の若者だった川口君は、なぜ殺されねばならなかったのか。 川口君リンチ殺人事件に怒った早大全学の一般学生はすぐに立ちあがった。革マル派を追放して自由なキャンパスを取り戻し、民主的な自治会を作ることを目的とした﹁早大解放闘争﹂が始まり、世間の注目を集める。それは﹁内ゲバ﹂の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかし革マル派の﹁革命的暴力﹂の前に一般学生は敗れ去り、わずか一年でその闘争は収束する。そして皮肉にも川口君リンチ殺人事件を機に革マル派と中核派の﹁内ゲバ﹂は、社青同解放派︵日本社
2024/06/17 リンク