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記事へのコメント502件
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roulette0424
「こころ(精神)とは、結局は物質の活動にすぎない」って考え普通じゃないのか。議論がかみ合わない人って「こころは特別なもので自分でコントロール可能なもの」というの暗黙の前提で考えているのだろうか?
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quick_past
そもそもがコンサータは対処療法であって、根本治療ではないと思う。それは部位欠損の人が医療機器のサポートで生活の困難さを改善することと同じでは。本来の自分では生きにくいから、薬の「助けを借りてる」
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sophizm
これ「薬」という外的に認知しやすい因子をキーにして思考が陥ってしまってるけど、例えば空腹時にイライラしている自分と満腹時にゆったりとしている自分は「食事」という外的な因子によって連続性を失わせている。
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CLOCKGRID
脳内物質とは違う話だが、人の行動変容を徹底的に学習させ、認知行動療法に類する何かを極めたAIにより性格を自由に変えられるようになったら、善悪や性格という概念はどうなるのかってのをChatGPTの登場以降よく考える
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isrc
脳の変調によって人が犯罪をなしたとき、責任はその人にあると言えるのか。人に責任があるときと脳に責任があるときの二つがあるのか、もしそうなら、どういう条件が満たされたとき脳に責任があるということになるか
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iiko_1115
コンサータは飲んだ事がないが、どちらかというと私はこの人と逆でストラテラの服用で創作するのが難しくなり、生活や苦手な事がある程度改善したがこれは幸せな事なのか…(感覚過敏は治ってないです)
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ykmc
"精神の座が脳であることなど、言わずとしれた常識なのですが、いざ、それが明確な形で体験されると、私は、あらゆる現象が、所詮は中枢神経の発火に過ぎないという絶望感=「副作用」を毎日、毎日、経験している"
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henno
映画「Arrival」の原作者テッド・チャンが科学雑誌Natureに執筆した超短編が見事にこの問題を描いている。https://www.nature.com/articles/436150a
![paravola paravola](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/paravola/profile.png)
paravola
そしてこの本の原題は Who’s in charge? です。ここでいう chargeは「訴追」の意味を含んでおり、「こころが脳の活動の表現にすぎないのであれば...脳の変調によって人が犯罪をなしたとき、責任はその人にあると言えるのか
![non_117 non_117](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/non_117/profile.png)
non_117
精神と身体を分ける必要がない。身体障害者と同様になり薬は道具になる。道具であるならば車椅子や杖と薬に共通する性質を問うことになる。生活でそれらの道具が必須なシーンもあるしそうでないシーンもあるだろう。
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【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室
Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。︵質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害...
Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。︵質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。︶ 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりと本を読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、﹁私は、もう完全に﹃脳﹄を支配した﹂という優越感︵あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが︶を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は
2019/08/08 リンク