![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ef38ac0e8ab04f1bad6e7b8e6fad53d951d2cc4b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2018%2F02%2F3480303635_ee67bee004_z.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント39件
- 注目コメント
- 新着コメント
![kidspong kidspong](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/kidspong/profile.png)
kidspong
「さようなら」を告げるのは相手に対する最後の尊重なのだと思う。ヘルスズキと似たような経験した事あるけど、忽然と私の前から姿を消す事ができたあの人は結局私の事を大事だと思っていなかったからなんだろなと。
![neofreudian neofreudian](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/neofreudian/profile.png)
neofreudian
「さようなら」が言えないということは、「終わり」を否定し、新しく何かを始めることもできず、永遠にリピートの環に閉じ込められること。トラウマの反復衝動を考察したフロイトの快楽原則の彼岸を思い起こします。
![sukeroc sukeroc](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/sukeroc/profile.png)
sukeroc
いい文章だった。「さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば」という枡野浩一さんの短歌が好きです。アン・モロー・リンドバーグも「さようなら」という言葉の美しさについて書いてた
![sisya sisya](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/sisya/profile.png)
sisya
おもしろい。さようなら不在の世の中が未練だらけの世の中にしてしまうということはある。心理的疲労を解消したコミュニケーションの先にあったのは、慢性的に疲れ続ける疑心暗鬼の世界になってしまった。
![hiroaki-itoh hiroaki-itoh](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/hiroaki-itoh/profile.png)
hiroaki-itoh
数十年前の卒業と同時に付き合いの無くなった相手、何年も前に期間限定のプロジェクトで会った仕事仲間、そんな付き合いであっても、再び気軽に交流を再開できる、そういう意味でも「さようなら」は意味を失ったね。
![pom2e pom2e](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/pom2e/profile.png)
pom2e
なかなかこんな視点で考えたことなかった! 便利な反面さようならがなくても容易に人間関係を断ち切れるようになってるのは寂しいことでもあるな。 世の中から本当の「さようなら」が消えてしまったことで起きた、ス
![kidspong kidspong](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/kidspong/profile.png)
kidspong
「さようなら」を告げるのは相手に対する最後の尊重なのだと思う。ヘルスズキと似たような経験した事あるけど、忽然と私の前から姿を消す事ができたあの人は結局私の事を大事だと思っていなかったからなんだろなと。
![sisya sisya](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/sisya/profile.png)
sisya
おもしろい。さようなら不在の世の中が未練だらけの世の中にしてしまうということはある。心理的疲労を解消したコミュニケーションの先にあったのは、慢性的に疲れ続ける疑心暗鬼の世界になってしまった。
![neofreudian neofreudian](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/neofreudian/profile.png)
neofreudian
「さようなら」が言えないということは、「終わり」を否定し、新しく何かを始めることもできず、永遠にリピートの環に閉じ込められること。トラウマの反復衝動を考察したフロイトの快楽原則の彼岸を思い起こします。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
世の中から本当の「さようなら」が消えてしまったことで起きた、スズキという男の悲劇。
本当の﹁さようなら﹂がこの世界から消えた ﹁さようなら﹂がこの世界より消えてから随分と時間が経った...
本当の﹁さようなら﹂がこの世界から消えた ﹁さようなら﹂がこの世界より消えてから随分と時間が経ったように思う。 もうどこを探しても﹁さようなら﹂はいないのだろう。本当の意味での﹁さようなら﹂など絶滅してしまったのだ。 あるのは偽りと芝居がかった﹁さよなら﹂だけ、そんな世界に僕らは生きている。 別れの挨拶、﹁さようなら﹂の消失は僕たち人間の在り方を大きく変えた。 時代の進み方に伴って人間の在りようが変わる様を﹁進化﹂と表現することもあるが、どうにもこの変化だけは﹁退化﹂であるような気がしてならない。 ネット社会の隆盛と、SNSの台頭は僕らを大きく退化させたのだ。単純に言うと、僕らの口から本当の意味での﹁さようなら﹂を奪ったのだ。 まだネットもスマホもSNSも存在しなかった時代、別れとは深刻なものだった。 あるコミュニティから離脱する場合、例えば学校のクラスという場所からの離脱、つまり卒業や転
2019/01/16 リンク