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記事へのコメント138件
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notio
多摩ニュータウンの町医者の人が知り合いにいて、その在り方(今は訪問診療が多いとか)の変化を聞いていると、その生活と死生観の在り方すら変化している感じがあって、町の変化は人の変化でもあるんだなと思ったり。
kissenger8
住民として追記しておくとすればポケストップいっぱいあるのが良いっていうことと、URだけでなく公営住宅も混ざって建っているので均質化一辺倒ではないのが町として健全な気がしているってことかな。
Eiichiro
ニュータウンから時代を経て、ジェイコブスの指摘する年代が混じり合う街になってきたのがよくわかる。歩いた印象は、歩くには広すぎて、車には近すぎて、自転車には、高低差がありすぎるところだった。
kazuau
永山の東京方面は京王線も小田急線もほぼ都県境を走っているせいで、川崎市を都市計画に巻き込めなかったのが限界になってしまった印象がある。なお、かつて川崎市多摩区在住で黒川勤務だった人間の感想である
altar
“近隣住区論により都市計画がなされた多摩ニュータウンには、(…)1日に1回近隣センターへ、1週間に1回地区センターへ、1ヶ月に1階中央センターへ行けば良い、というコンセプトで作られた” ここすき
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2022/03/21 リンク