エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
新着コメントはまだありません。
このエントリーにコメントしてみましょう。
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
近藤誠医師 がん放置説⑥|キミコ
放置説は死を前提としている 通常の医療が死を敵とみなし、死なせないための手立てを可能な限り講じよう...
放置説は死を前提としている 通常の医療が死を敵とみなし、死なせないための手立てを可能な限り講じようとするのにたいし、近藤さんの放置説は死を前提にしています。 死と敵対せず、死を受け入れることからはじまります。そこが他のトンデモ医療や健康本と呼ばれるものとの違いです。潔さを感じて私が引きつけられた点でもあります。 人間は必ず死ぬ。すべての人がひとりの例外もなく、必ず死ぬ。死ぬまでの時間をどうすごすか。実は落とし穴があるのですが、放置説はそこを起点として、がん治療の問題を考えているように思えます。 病院に通い、病院に入院し、治療をうけつつ病人として生きて、少しでも長く生きることをのぞむか。病気のことはあえて無視して、病院とも治療とも無縁の、普通に暮らす時間を長くとるか。 どちらが良いと言えるものではない。当時はそう思っていました。個々人の生き方であり、個々人の選択だと思っていたのです。私はでき