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戦艦唯一の生き残り「長門」の進水日 大正期の"日本の誇り" -1919.11.9 | 乗りものニュース
﹁大和﹂の誕生まで、最強クラスの旧海軍戦艦でした。 河内型から数えて第5世代 拡大画像 1920年代に撮...
﹁大和﹂の誕生まで、最強クラスの旧海軍戦艦でした。 河内型から数えて第5世代 拡大画像 1920年代に撮影された戦艦﹁長門﹂︵画像‥アメリカ海軍︶。 今から101年前の1919︵大正8︶年11月9日。旧日本海軍の戦艦﹁長門﹂が進水を迎えました。 ﹁長門﹂は大正期に建造された一連の日本戦艦の最終型といえる長門型のネームシップ、すなわち1番艦です。当初は、この後も改良発展型の建造計画は立てられていたものの、1923︵大正12︶年にワシントン海軍軍縮条約が発効するとそれらはすべて潰えて、次の戦艦の進水は1941︵昭和16︶年の﹁大和﹂まで待つこととなります。 河内型、金剛型、扶桑型、伊勢型と進化を遂げてきた戦艦の集大成とも言える長門型。当時の近代的戦艦のベンチマークであったイギリス海軍の﹁ドレッドノート﹂と比較しても、砲口径30.5cmに対して41.0cmと、圧倒的な火力を誇っていました。 さら
2022/11/09 リンク