![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1ca410785d0f4956358557e5f6d188fe67c34030/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fhtml%2F20220501%2FK10013607711_2205011506_0501151442_01_02.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント71件
- 注目コメント
- 新着コメント
![kaneko_hk kaneko_hk](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/kaneko_hk/profile.png)
kaneko_hk
﹃重犯罪の判決は老中に上申﹄というのはみなもと太郎﹁風雲児たち﹂で読んだ。奉行が差し出した重罰の判決書を老中が一段軽くして返すことで幕府の仁愛を示す慣例。それを逆手に取ったのが安政の大獄の井伊直弼。
![otoan52 otoan52](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/otoan52/profile.png)
otoan52
貴重すぎる資料だなー。死刑だと老中まで話が上がってたのか。/ブコメ、奉行所の人数は少ないけど正規雇用が少ないだけで、与力とかが直接雇用する下部組織があったとか聞いたよ/東京と人口比で大差ないみたいよ
![gryphon gryphon](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/gryphon/profile.png)
gryphon
『風雲児たち』によると、老中らが刑罰案の表に目を通せばほぼ慣習的に罰が軽減されるのに、吉田松陰は死刑でない刑罰案を井伊自ら死刑にしたとか(それが暗殺後、批判材料になった)/おーすでにかいてる人いるね
![You-me You-me](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/You-me/profile.png)
You-me
当時の裁判武士が借金返せと訴えられる例がめちゃくちゃ多かったそうだから(参考http://shiranuhi-law.com/trouble/trouble10)まぁ慎重になるでしょうねぇという感じ
![duckt duckt](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/duckt/profile.png)
duckt
「江戸時代の奉行は慎重だった?」まあ記事の面白みで書いてるんだろうけど、百年以上続いた官僚機構が複雑精緻な仕組みを持ってるのは当前だよね。彼らに今の時代劇見せたら一笑に付されるのは寧ろ我々では。
![prna79 prna79](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/prna79/profile.png)
prna79
“付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(かまえなし)」という冊子もあり、事情によっては刑罰を科さない判断をしていた”
![imakita_corp imakita_corp](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/imakita_corp/profile.png)
imakita_corp
>>死刑の中でも最も重い「はりつけ」とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。
![beed beed](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/beed/profile.png)
beed
これは貴重な資料。そして、好奇心というか野次馬根性をくすぐられるというか、面白い話が沢山ありそう/東京は人口1400万に対し警視庁46千人、江戸が100万都市で3千人いたら、そんなもんかなって感じ。
![ukkarimono ukkarimono](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/ukkarimono/profile.png)
ukkarimono
“ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(かまえなし)」という冊子も…。記録は最高裁判所の倉庫で見つかり”
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK
“大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がか...
“大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がかりとなる記録が見つかりました。 江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、専門家は﹁江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ﹂としています。 新たに見つかったのは﹁御仕置廉書︵おしおきかどがき︶﹂という18冊の冊子で、幕末までのおよそ150年にわたって江戸幕府の奉行所で言い渡された判決が年代や刑罰ごとに記録されています。 雇い主を殺した罪に問われ、死刑の中でも最も重い﹁はりつけ﹂とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。 また、ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた﹁無搆︵か
2022/05/01 リンク