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記事へのコメント204件
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![atsushifx atsushifx](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/atsushifx/profile.png)
atsushifx
許すは罪をないものとして扱い、赦すは罪はあるが神はすべてをみとめて救うという意味。キリスト教での放蕩息子の話ででてくる有名な言葉で、キリスト教とイスラム教共通のコモンセンスとなっている。日本が例外
![fromAmbertoZen fromAmbertoZen](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/fromAmbertoZen/profile.png)
fromAmbertoZen
う~ん... 「(ムスリムへの)批判でもなければ...侮辱でもない」「フランスに住む多くのイスラーム教徒を代弁」他者の象徴的存在を使い自分が属さぬグループの意思を代弁させちゃうのは傲慢では?(宗教に限らずとも
![irbs irbs](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/irbs/profile.png)
irbs
読んだ中で最もしっくりくる解釈。仏仏でも、pardonnerは(ざっくりいうと)renoncer à punir = 「罰することを諦める」であり、やはり許すというよりは「赦す」のニュアンスで読まれるべきだと思う。/ブコメ勉強になります
![waman waman](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/waman/profile.png)
waman
『…Permisと異なり、Pardonné は宗教の罪の「赦し」に由来する、もっと重い言葉だ』『permisであれば、現在から未来に及ぶ行為を許可することを指すが、pardonnéは、過去に為された過ちを赦すことを意味する』
![gryphon gryphon](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/gryphon/profile.png)
gryphon
この文章のある意味前提になる「当てはめた漢字による意味の使い分け」についての高島俊男氏の意見(抜粋)⇒http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121115/p3
![DG-Law DG-Law](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/DG-Law/profile.png)
DG-Law
とはいえ,シャルリー・エブドの側が「ムハンマドは風刺を許した」と解釈させるのは傲慢じゃないかと。/「表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し」ていたのは安心した。
![kunitaka kunitaka](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/kunitaka/profile.png)
kunitaka
翻訳時にニュアンスの違いが生じていた可能性は俺も感じてたけど、他が余りに強引過ぎる善意の解釈だ。イスラム圏では反発されているし、フランスで排斥運動は続いている事がこの記事をリアルに否定しているよ。
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﹁シャルリー・エブド﹂誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、﹁シャルリー・エブド﹂の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、﹁テロは良くないが﹂というただし書き付きで、﹁でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは﹂と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される﹁シャルリー・エブド﹂最
2015/01/15 リンク