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WEB連載:失われた未来を求めて 木澤佐登志 / 第十回 蜂起を生きる――<カント、フーコー、マーク・フィッシャー
﹁未来はわれらのものだ﹂と言いながら死んでいったサン=シモン、﹁未来を構築しなければならない﹂と...
﹁未来はわれらのものだ﹂と言いながら死んでいったサン=シモン、﹁未来を構築しなければならない﹂と言いながら自殺していったマーク・フィッシャー、そして﹁未来はここで終わる﹂と言ったリー・エーデルマン――。ルイス・キャロルは暗室の中で少女たちの写真を現像し、カール・マルクスは大英図書館で来るべき革命のための書を執筆する。これは、未来と子どもたち、近代と脱近代、革命と反動、19世紀と20世紀、ユートピアとディストピア、メランコリーとノスタルジー、テクノロジーとオカルティズム、そして失われた未来に捧げるエッセイである。 第十回蜂起を生きる――カント、フーコー、マーク・フィッシャー 資本主義リアリズムとは集団的に夢見られたバッドトリップである。それはひとつのイデオロギーであり夢に過ぎないが、夢であることが忘却された夢である。それどころか、それは強固で避けがたい一貫性のある現実として振る舞い、私達をそ
2020/10/07 リンク