﹃詩に映るゲーテの生涯﹄より 死の囁きと生命の震え--﹁マリーエンバートの悲歌﹂-- まさに自分の必要としているものが、まさにその必要な時点で目の前に現れてくるのも、ゲーテの人生の秘密のひとつである。そしてゲーテはそれを決して逃さない。それともわれわれ自身もまた、いつも必要なものを目の前にしていながら、ただそれをそれと気付かず、無駄に見過ごしているだけのことなのであろうか。ともあれ一八二三年の晩春、旅の途上にあったエッカーマンと名乗るひとりの青年が﹁文学への寄与--特にゲーテを中心に﹂という論文を手に現れたとき、ゲーテは自分の親しい出版社であるコック書店に仲介の労をとり、そして言う。 ﹁あまり先をお急ぎになるのはよくない。もう少しここにいて、互いによく知り合うほうがよいのではないかね﹂︵エッカーマン﹃ゲーテとの対話﹄一八二三年六月十一日︶ 青年に尊敬する老巨匠の魅惑的な誘いを拒むことはでき