drifter-2181.hateblo.jp これをはじめて読んだときには﹁確かに、人が何かを信じたり、誰かを応援したりするって、基本的には自由だよな﹂と思ったのです。 その信じる相手がどんなに酷いことをしたとしても、情として、見捨てられない、﹁好き﹂という感情を止めることができない、ということはある。 たとえば、自分の親兄弟や子どもが、殺人者やテロリストになってしまった、という状況下で﹁あいつはあんなことをやったから、もう自分とは関係ありません﹂なんて言い切れる人って、あまりいないはずです。 ﹁被害者には申し訳ないけれど、身内を信じたいし、更生が許されるのならサポートしたい﹂という感情のほうが、僕には想像しやすい。 逆に、ある人がオウム真理教に帰依していて、信仰のためなら、誘拐や殺人、サリンを撒くことも辞さない、という場合は、周囲が強制してでも、その信仰を止めさせるべきでしょう。 それ
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