日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士(1907~81年)が終戦の年に書いた日記を、京都大学基礎物理学研究所(京都市左京区)が21日、発表した。 旧海軍の要請で京都帝国大が進めていた原爆研究に関わっていたことなどが記されている。公的には自ら言及することのなかった原爆研究への関与を裏付ける記録で、当時の博士の様子を知る貴重な資料だ。 湯川博士の日記は1934~49年と54年に書かれたものが見つかっているが、公表は、博士が中間子論を発表した34年分など一部にとどまっている。 今回、公表されたのは、湯川博士が所長だった同研究所に残されていた「研究室日誌」など計15冊のうち、45年に書かれた3冊の内容。くせのある博士の字の解読を、親交があった小沼通二(こぬまみちじ)・慶応大名誉教授(86)が進めていた。