人生と労働に関するgachakku0131のブックマーク (5)
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﹁どうやって生きていけばいいだろう﹂と彼は言った。﹁学歴もなければ大した職歴もない、ぼくらのような人間はどうやって生き残ればいいだろう﹂ 京都、三条河原町。最近できたばかりのつけ麺屋に、友人とたむろしていた。 麺大盛り根菜チャーハンセットを待ちながら彼は続けた。 ﹁いまの時代、あらゆる仕事が機械に置き換えられていっている。一昔前なら、知的な労働は人間がやるしかなかった。どんなに単純な足し算、引き算だろうと、人間の手で計算するほうが早かった。だから、ぼくたちのような人間にも仕事があった……﹂ と、料理が運ばれてきて、彼はちょっとだけ口を閉じる。目をむくような量の炭水化物の塊がテーブルを埋めていく。 ﹁……だけど、いまは違う﹂つぶやきながら、彼はわりばしを割る。﹁当たり前のことが当たり前にできるだけの人間なら、機械を使ったほうが安上がりだ。ぼくらのような人間の居場所は、どんどん無くなっている。
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どこかのブラック企業やベンチャーの社長が、 よく口にする言葉が﹁仕事が楽しい﹂というものだ。 世のため人のためというのは、綺麗な言葉だけれど、本当のところでは、そんなわけがない。 金というのは、世の中に一定であるからして、繁栄と没落は表裏一体だからだ。 結局、仕事というのは、誰かが儲けるはずの金を、 いかにして自分の金にするかということが根底にある。 だから、﹁仕事が楽しい﹂とは、﹁誰かを潰して、且つ金を手にするのが楽しい﹂ということになる。 ﹁いや、違うだろ、企業が競り合うことで豊かな世になる﹂、という言葉もあるかもしれない。 では、日本は豊かになっただろうか? 確かに、ここ20年足らずでゲームや漫画などに代表する娯楽要素は爆発的に増えただろう。 でも、非正規や年金問題も加速してしまった。 また、いつまで、週に5日や6日も働くのだろう? 無駄な争いがあるからこそ、いつまで経っても週休3日
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まぁ、みんな聞いてくれ。お前らがどんな仕事をしているかわからんが、はてなを使いこなすようなディープなネットユーザーはそれなりに充実した毎日を送っているだろう︵と信じたい︶。 俺も国立大を卒業して︵東大じゃねえぞ︶、その業種内じゃそこそこ名の知れた企業に入ることはできた。毎日どうでもいいことで怒られるわ、地雷を避けるためだけに残業させられるわでほんと大変だよ。周りを見ても似たような感じで﹁ああ、俺って凡人だな﹂なんて平々凡々としてサラリーマン生活を送っている。 そんな時に中学の同窓会の知らせが来た。中学の頃の友人なんてぜんぜん連絡を取っていない。手紙のやり取りすらしている人間もいない。けど、参加してみることにした。あの頃の奴らが今何やっているかが気になるし、愚痴の共有でもしてストレスを発散しようと思ったんだよ。それなりにワクワクしていた。会場につくまでは。 ﹁誰とも連絡を取っていない﹂──思
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以前書いたエントリに非常に興味深いコメントを頂いた。 ﹁組織に酔う﹂日本人 - Rails で行こう! 私は20年東京の中小企業に勤め、その後アメリカの中小企業に転職して今年で10年目になるプログラマですが、私の経験から言うと、家族と仕事のどちらに重点が置かれるかが、アメリカと日本のサラリーマンの最大の違いだと思います。 ここアメリカでは、家族と一緒の時間を最も大切にして、会社はあくまでも収入を得る手段であり、そこで1日のうちの8時間以上を過ごすのは愚かである︵自分や家族の人生を大切にしないと言う点で︶と考えます。社長以下、すべての上司も同じように考えているので、滅私奉公などという発想はありえません。そういう発想の人は多かれ少なかれ家族に問題が発生し、その結果生産性が下がり、いずれレイオフされるでしょう。 仕事は家族の次に大事なものです。何といっても1日の三分の一を過ごすわけですから、その
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無職だけでなくフリーターの危機感も煽ってやろう。一応仕事はしているフリーターさえこの現実なら、 無職って一体どうなるんだ、と。 なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。 一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。 俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、 おごってもらったのが白木屋だったな。 ﹁俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから﹂ お前はそういって笑ってたっけな。 俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、 お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。 ﹁毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ﹂ ﹁バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ﹂ ﹁社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ﹂ そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。 あれから十年たって今、
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