![不登校からの逆転“さわやかクイズ王カップル”を生んだ「桜丘高校」の秘密 | クイズです | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cb4eb4099ca5919c10cf4bb5a6108a37069cf6be/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2Fe%2Fc%2F1200wm%2Fimg_ec16b7dc980cd3bd40f1f941e156fa17137320.jpg)
2017.08.26 12:00 男が男を変えるべき。「社会が悪い」に逃げない「わたくしごと」の男性学を/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【2】 今年2月に刊行された『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)で、介護=ケアと、庇護される立場の男性性=息子性を分析する、新しいジェンダー論を執筆された社会学者の平山亮さん。前編では、近年注目されている男性学および「男性の生きづらさ」論の問題点についてお話を伺いました。後編では、この問題についてさらに踏み込みながら、男性が気づくべき社会における優位性と、男性問題を「わたくしごと」として引き受けることの重要性についてお話いただきました。 ・「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 外の目が入りづらい家事育児は女性が不利になる――SNSへの育児
『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス) 2017年上半期、ネットやワイドショーを賑わした痴漢問題。とはいえ、取り上げられるのは痴漢冤罪の話題が多く、痴漢の実態についてはなかなか触れられることがなかった。 こうした世間の流れに一石を投じることになるであろう書籍『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)が18日に発売された。著者の斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)は、アジア最大規模といわれる依存症治療施設である榎本クリニック(東京都)で、12年に及び日本で先駆的に性犯罪の再犯防止プログラムに取り組んできた専門家だ。現行の報道では何が抜け落ちているのか、また痴漢加害者の実像について聞いた。 ■痴漢は冤罪よりも犯罪に及ぶケースのほうが圧倒的に多い事実 ――痴漢冤罪が大きな話題になっているなかでの今回の著書タイトル。とても挑戦的と感じました。 斉藤章佳氏(以下、斉藤): 痴漢を疑われた男性
もう何年も前に終わった話。 でも、同じことで苦しんでいる人のために書き残しておく。 ストーカー騒動の時に、しっかり対応してくれた会社には感謝している。 だから迷惑かけないように、多少フェイクを入れて書く。 個人や会社を特定するのは無理だろうけど、話の大筋は変わっていない。 会社に勤めていた時、社内にストーカーがいた。 その当時、私は経理系のパート。 ストーカーは、他部署の派遣だった。 会社は365日営業していた。 部署によっては平日だけのところもあれば、土日祝も営業しているところもあった。 そのため、経理も基本は週7日営業でシフト制だった。 ストーカーの部署は、繁忙期だけ週7日営業をする。 そして相手の部署はフリーアドレスを採用していた。だから、座席を毎日自由に変えられた。 そういったこともあって、付け回されているのに気づくのが少し遅れた。 最初は、よく挨拶してくる人だなと思っていた。 経
あの演説も「エマ・ワトソンが弱者男性に救いの手を差し伸べた」ってものじゃないでしょ ただの「男女平等には男性も無関係ではないから協力しましょう」というあたりまえの提言だよ 「それでは俺は救われねーぞ」って 誰も救うとは言ってねーんだよ「自分の力で一緒に闘ってみようよ」って話だよ 自らの在り方を自らの手に取り戻すための運動でそれを他人に委ねてどうする 「でもエマ・ワトソンはいい男とばっか付き合ってんじゃん」って いいんだよべつにエマ・ワトソンは男らしさや女らしさを評価することを否定してるわけじゃないんだから それに囚われすぎることで苦しむことは辛いよねって程度の話だよ 「男らしさは女がそれを求めてるからだ」って その要求に答える自由がお前にはあるんだよ 「じゃあやっぱりエマ・ワトソンは俺を救ってくれないのか」って そうだよ別にエマ・ワトソンがお前を救ってくれるわけじゃないよ エマ・ワトソンは
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。 ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。 それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。 「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。 従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。 という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり) 例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。 といった具合に。 ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるよう
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