﹁目を閉じれば全てが思い浮かぶ。松とか家とか池とか畑とか﹂。宜野湾市宜野湾で生まれ育った玉那覇祐正さん︵84︶は遠い昔を懐かしむように古里の風景を語り出した。 国の天然記念物に指定された街道﹁宜野湾並松﹂︵ジノーンナンマチ︶が集落の南北を貫いていた。﹁平らな土地で、道がきれいで近所の家を簡単に行ったり来たりできた。サトウキビやイモがよくできる土地で、いい暮らしをしていた﹂と目を細めた。そして、こう付け加えた。﹁もし戦争が来なかったら、今もいい所だった﹂ 大切なものは置いてきた ﹁とてもいい所だった﹂と戦前の宜野湾の様子を語る玉那覇祐正さん=2017年5月、沖縄県宜野湾市宜野湾︵又吉康秀撮影︶ 玉那覇さんの古里は米軍普天間飛行場のフェンスの向こうにある。宜野湾村︵現宜野湾市︶の中心地だった字宜野湾には村役場や学校、市場、闘牛場があった。約300世帯︵1903年時点︶が暮らす、のどかな集落だっ
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