歴史とロシアに関するhapoaのブックマーク (2)
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どうして、このタイミングで、この短歌なのか。安倍首相が施政方針演説で引用した短歌が、問題になり始めている。短歌は日露戦争中、明治天皇が国民に勇気ある戦いを呼びかけたものだ。しかし、日露戦争は日本にとっては栄光の歴史でも、ロシアにとっては屈辱的な敗戦の歴史である。よりによって、今月22日、安倍首相はプーチン大統領と会談したばかり。ロシア国民が触れられたくない歴史に触れたことで、プーチン大統領を刺激したのは間違いない。 ◇ ◇ ◇ 安倍首相の“間抜けな引用”は、今回が初めてじゃない。昨年9月の総裁選の時も、﹁薩摩と長州で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい﹂と、鹿児島県をヨイショし、わざわざ桜島をバックに出馬を表明しながら、﹁我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山﹂と、幕末の志士が薩摩への失望を詠んだ歌を引用している。どうやら、歌の意味を知らずに﹁桜島﹂という単語で選んだらし
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敗戦直後、混乱する旧満州︵中国東北部︶で、満蒙開拓団の幹部から指示を受けて旧ソ連兵に﹁性接待﹂をした……。90歳前後の元団員女性たちの告白が、衝撃を与えている。当時、何があったのか。70年間、性暴力被害は、なぜ秘められてきたのか。証言活動を支える、戦後生まれの岐阜県の黒川分村遺族会会長、藤井宏之さん︵66︶に聞いた。 ――90歳前後の女性が﹁性接待﹂を告白する。ショックです。 ﹁私が暮らす岐阜県の旧黒川村︵現在の白川町︶を中心に1941年以降、600余人の黒川開拓団が吉林省陶頼昭に入植しました。当時の村長は県議会議長も務めた人で、不況で疲弊した村を救おうと国策に協力したのでしょう。終戦直後、多数の現地住民に襲撃されました。食料も武器もなく、隣の開拓団は全員自決。﹃明日は黒川開拓団だ﹄と声が上がったそうです。その時、近くに駐屯するソ連軍部隊に助けを求めたところ、代償を求められ、17歳から21
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